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澪標

第二章 明石の物語 明石の姫君誕生

2. 宣旨の娘を乳母に選定

 

本文

現代語訳

 さる所に、はかばかしき人しもありがたからむを思して、故院にさぶらひし宣旨の娘、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを、母なども亡せて、かすかなる世に経けるが、はかなきさまにて子産みたりと、聞こしめしつけたるを、知る便りありて、ことのついでにまねびきこえける人召して、さるべきさまにのたまひ契る。

  まだ若く、何心もなき人にて、明け暮れ人知れぬあばら家に、眺むる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、参るべきよし申させたり。いとあはれにかつは思して、出だし立てたまふ。

 あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって、不如意な生活を送っていた人が、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、知るつてがあって、何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。

  まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この方に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨、お答え申し上げさせた。たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。

 もののついでに、いみじう忍びまぎれておはしまいたり。さは聞こえながら、いかにせましと思ひ乱れけるを、いとかたじけなきに、よろづ思ひ慰めて、

  「ただ、のたまはせむままに」

  と聞こゆ。吉ろしき日なりければ、急がし立てたまひて、

  「あやしう、思ひやりなきやうなれど、思ふさま殊なることにてなむ。みづからもおぼえぬ住まひに結ぼほれたりし例を思ひよそへて、しばし念じたまへ」

  など、ことのありやう詳しう語らひたまふ。

 外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、じきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、

  「ただ、仰せのとおりに」

  と申し上げる。日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、

  「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」

  などと、事の次第を詳しくお頼みになる。

 主上の宮仕へ時々せしかば、見たまふ折もありしを、いたう衰へにけり。家のさまも言ひ知らず荒れまどひて、さすがに、大きなる所の、木立など疎ましげに、「いかで過ぐしつらむ」と見ゆ。人のさま、若やかにをかしければ、御覧じ放たれず。とかく戯れたまひて、

  「取り返しつべき心地こそすれ。いかに」

  とのたまふにつけても、「げに、同じうは、御身近うも仕うまつり馴れば、憂き身も慰みなまし」と見たてまつる。

 主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で、木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。人柄は、若々しく美しいので、お見過ごしになれない。何やかやと冗談をなさって、

  「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。どう思いますか」

  とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。

 「かねてより隔てぬ仲とならはねど

   別れは惜しきものにぞありける

  慕ひやしなまし」

 「以前から特に親しい仲であったわけではないが

   別れは惜しい気がするものであるよ

  追いかけて行こうかしら」

 とのたまへば、うち笑ひて、

 とおっしゃると、にっこりして、

 「うちつけの別れを惜しむかことにて

   思はむ方に慕ひやはせぬ」

 「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて

   恋しい方のいらっしゃる所にお行きになりませんか」

 馴れて聞こゆるを、いたしと思す。

 物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。



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