第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い
2.
御息所、斎宮を源氏に託す
本文 |
現代語訳 |
かくまでも思しとどめたりけるを、女も、よろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。 |
こんなにまでもお心に掛けていたのを、女も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。 |
「心細くてとまりたまはむを、かならず、ことに触れて数まへきこえたまへ。また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。かひなき身ながらも、今しばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで、見たてまつらむことこそ思ひたまへつれ」 |
「心細い状況で先立たれなさるのを、きっと、何かにつけて面倒を見て上げてくださいまし。また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」 |
とても、消え入りつつ泣いたまふ。 |
と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。 |
「かかる御ことなくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにもあらぬを、まして、心の及ばむに従ひては、何ごとも後見きこえむとなむ思うたまふる。さらに、うしろめたくな思ひきこえたまひそ」 |
「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。けっして、ご心配申されることはありません」 |
など聞こえたまへば、 |
などと申し上げなさると、 |
「いとかたきこと。まことにうち頼むべき親などにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして、思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうち交り、人に心も置かれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。憂き身を抓みはべるにも、女は、思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる」 |
「とても難しいこと。本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは、思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」 |
など聞こえたまへば、「あいなくものたまふかな」と思せど、 |
などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、 |
「年ごろに、よろづ思うたまへ知りにたるものを、昔の好き心の名残あり顔にのたまひなすも本意なくなむ。よし、おのづから」 |
「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。いずれ、そのうちに」 |
とて、外は暗うなり、内は大殿油のほのかにものより通りて見ゆるを、「もしもや」と思して、やをら御几帳のほころびより見たまへば、心もとなきほどの火影に、御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄りゐたまへる、絵に描きたらむさまして、いみじうあはれなり。帳の東面に添ひ臥したまへるぞ、宮ならむかし。御几帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通したまへれば、頬杖つきて、いともの悲しと思いたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげならむと見ゆ。 御髪のかかりたるほど、頭つき、けはひ、あてに気高きものから、ひちちかに愛敬づきたまへるけはひ、しるく見えたまへば、心もとなくゆかしきにも、「さばかりのたまふものを」と、思し返す。 |
と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃる、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。 お髪の掛ったところ、頭の恰好、感じ、上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。 |
「いと苦しさまさりはべる。かたじけなきを、はや渡らせたまひね」 とて、人にかき臥せられたまふ。 |
「とても苦しさがひどくなりました。恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」 とおっしゃって、女房に臥せさせられなさる。 |
「近く参り来たるしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心苦しきわざかな。いかに思さるるぞ」 とて、覗きたまふけしきなれば、 |
「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。いかがなお具合ですか」 と言って、お覗きになる様子なので、 |
「いと恐ろしげにはべるや。乱り心地のいとかく限りなる折しも渡らせたまへるは、まことに浅からずなむ。思ひはべることを、すこしも聞こえさせつれば、さりともと、頼もしくなむ」 と聞こえさせたまふ。 |
「たいそうひどい格好でございますよ。病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」 と、お申し上げになる。 |
「かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。故院の御子たち、あまたものしたまへど、親しくむつび思ほすも、をさをさなきを、主上の同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかば、さこそは頼みきこえはべらめ。すこしおとなしきほどになりぬる齢ながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」 |
「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」 |
など聞こえて、帰りたまひぬ。御訪らひ、今すこしたちまさりて、しばしば聞こえたまふ。 |
などと申し上げて、お帰りになった。お見舞い、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。 |