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澪標

第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い

3. 六条御息所、死去

 

本文

現代語訳

 七、八日ありて亡せたまひにけり。あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内裏へも参りたまはず、とかくの御ことなど掟てさせたまふ。また頼もしき人もことにおはせざりけり。古き斎宮の宮司など、仕うまつり馴れたるぞ、わづかにことども定めける。

 七、八日あって、お亡くなりになったのであった。あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。

 御みづからも渡りたまへり。宮に御消息聞こえたまふ。

  「何ごともおぼえはべらでなむ」

  と、女別当して、聞こえたまへり。

  「聞こえさせ、のたまひ置きしこともはべしを、今は、隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」

 君ご自身もお越しになった。宮にご挨拶申し上げなさる。

  「何もかもどうしてよいか分からずにおります」

  と、女別当を介して、お伝え申された。

  「お話し申し上げ、またおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」

 と聞こえたまひて、人びと召し出でて、あるべきことども仰せたまふ。いと頼もしげに、年ごろの御心ばへ、取り返しつべう見ゆ。いといかめしう、殿の人びと、数もなう仕うまつらせたまへり。あはれにうち眺めつつ、御精進にて、御簾下ろしこめて行はせたまふ。

 と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも、償われそうに見える。実に厳かに、邸の家司たち、大勢お仕えさせなさった。しみじみと物思いに耽りながら、ご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。

 宮には、常に訪らひきこえたまふ。やうやう御心静まりたまひては、みづから御返りなど聞こえたまふ。つつましう思したれど、御乳母など、「かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。

 宮には、常にお見舞い申し上げなさる。だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが、「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。

 雪、霙、かき乱れ荒るる日、「いかに、宮のありさま、かすかに眺めたまふらむ」と思ひやりきこえたまひて、御使たてまつれたまへり。

 雪、霙、降り乱れる日、「どんなに、宮邸の様子は、心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。

 「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。

   降り乱れひまなき空に亡き人の

   天翔るらむ宿ぞ悲しき」

「今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。

 雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、亡き母宮の御霊が

 まだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます」

 空色の紙の、曇らはしきに書いたまへり。若き人の御目にとどまるばかりと、心してつくろひたまへる、いと目もあやなり。

  宮は、いと聞こえにくくしたまへど、これかれ、

  「人づてには、いと便なきこと」

  と責めきこゆれば、鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして、

 空色の紙の、曇ったような色にお書きになっていた。若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。

  宮は、ひどくお返事しにくくお思いになるが、誰彼が、

  「ご代筆では、とても不都合なことです」

  と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、

 「消えがてにふるぞ悲しきかきくらし

   わが身それとも思ほえぬ世に」

 「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます

 毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に」

 つつましげなる書きざま、いとおほどかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる筋に見ゆ。

 遠慮がちな書きぶり、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。



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