第二章 末摘花の物語 光る源氏帰京後
4.
侍従、叔母に従って離京
本文 |
現代語訳 |
されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、 「さらば、侍従をだに」 と、日の暮るるままに急げば、心あわたたしくて、泣く泣く、 |
けれども、動きそうにもないので、一日中いろいろと説得したものの困りはてて、 「それでは、侍従だけでも」 と、日が暮れるままに急ぎ立てるので、気がせいて、泣く泣く、 |
「さらば、まづ今日は。かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ。かの聞こえたまふもことわりなり。また、思しわづらふもさることにはべれば、中に見たまふるも心苦しくなむ」 |
「それでは、ともかく今日のところは。このようにお勧めになるお見送りだけでも参りましょう。あのように申されることもごもっともなことです。また一方、お迷いになることもごもっともなことですので、間に立って拝見するのも辛くて」 |
と、忍びて聞こゆ。 この人さへうち捨ててむとするを、恨めしうもあはれにも思せど、言ひ止むべき方もなくて、いとど音をのみたけきことにてものしたまふ。 |
と、小声で申し上げる。 この人までが自分を見捨てて行ってしまおうとするのが、恨めしくも悲しくもお思いになるが、引き止めるすべもないので、ますます声を立てて泣くことばかりでいらっしゃる。 |
形見に添へたまふべき身馴れ衣も、しほなれたれば、年経ぬるしるし見せたまふべきものなくて、わが御髪の落ちたりけるを取り集めて、鬘にしたまへるが、九尺余ばかりにて、いときよらなるを、をかしげなる箱に入れて、昔の薫衣香のいとかうばしき、一壺具して賜ふ。 |
形見にお与えになるべき着用の衣も垢じみているので、長年の奉公に報いるべき物がなくて、ご自分のお髪の抜け落ちたのを集めて、鬘になさっていたのが、九尺余りの長さで、たいそうみごとなのを、風流な箱に入れて、昔の薫衣香のたいそう香ばしいのを、一壷添えてお与えになる。 |
「絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら 思ひのほかにかけ離れぬる |
「あなたを絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが 思いのほかに遠くへ行ってしまうのですね |
故ままの、のたまひ置きしこともありしかば、かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ。うち捨てらるるもことわりなれど、誰に見ゆづりてかと、恨めしうなむ」 |
亡くなった乳母が、遺言なさったこともありましたから、不甲斐ない我が身であっても、最後までお世話してくれるものと思っていましたのに。見捨てられるのももっともなことですが、この後誰に世話を頼むのかと、恨めしくて」 |
とて、いみじう泣いたまふ。この人も、ものも聞こえやらず。 |
と言って、ひどくお泣きになる。この人も、何も申し上げることができない。 |
「ままの遺言は、さらにも聞こえさせず、年ごろの忍びがたき世の憂さを過ぐしはべりつるに、かくおぼえぬ道にいざなはれて、遥かにまかりあくがるること」とて、 |
「乳母の遺言は、もとより申し上げるまでもなく、長年の堪えがたい生活を堪えて参りましたのに、このように思いがけない旅路に誘われて、遥か遠くに彷徨い行くことになるとは」と言って、 |
「玉かづら絶えてもやまじ行く道の 手向の神もかけて誓はむ 命こそ知りはべらね」 |
「お別れしましてもお見捨て申しません 行く道々の道祖神にかたくお誓いしましょう 寿命だけは分りませんが」 |
など言ふに、 「いづら。暗うなりぬ」 と、つぶやかれて、心も空にて引き出づれば、かへり見のみせられける。 |
などと言うと、 「どこにいますか。暗くなってしまいます」 と、ぶつぶつ言われて、心も上の空のまま引き出したので、振り返りばかりせずにはいられないのであった。 |
年ごろわびつつも行き離れざりつる人の、かく別れぬることを、いと心細う思すに、世に用ゐらるまじき老人さへ、 「いでや、ことわりぞ。いかでか立ち止まりたまはむ。われらも、えこそ念じ果つまじけれ」 と、おのが身々につけたるたよりども思ひ出でて、止まるまじう思へるを、人悪ろく聞きおはす。 |
長年辛い思いをしながらも、お側を離れなかった人が、このように離れて行ってしまったことを、たいそう心細くお思いになると、世間では役に立ちそうにもない老女房までが、 「いやはや、無理もない。どうしてお残りになることがありましょう。私達も、とても我慢できそうにありません」 と、それぞれに関係ある縁故を思い出して、残っていられないと思っているのを、体裁の悪いことだと聞いていらっしゃる。 |