第三章 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語
2.
惟光、邸内を探る
本文 |
現代語訳 |
惟光入りて、めぐるめぐる人の音する方やと見るに、いささかの人気もせず。「さればこそ、往き来の道に見入るれど、人住みげもなきものを」と思ひて、帰り参るほどに、月明くさし出でたるに、見れば、格子二間ばかり上げて、簾動くけしきなり。わづかに見つけたる心地、恐ろしくさへおぼゆれど、寄りて、声づくれば、いともの古りたる声にて、まづしはぶきを先にたてて、 |
惟光が邸の中に入って、あちこちと人の音のする方はどこかと探すが、すこしも人影が見えない。「やはりそうだ、今までに行き帰りに覗いたことがあるが、人は住んでいないのだ」と思って、戻って参る時に、月が明るく照らし出したので、見ると、格子が二間ほど上がっていて、簾の動く気配である。やっと見つけた感じ、恐ろしくさえ思われるが、近寄って、訪問の合図をすると、ひどく老いぼれた声で、まずは咳払いしてから、 |
「かれは誰れぞ。何人ぞ」 と問ふ。名のりして、 「侍従の君と聞こえし人に、対面賜はらむ」 と言ふ。 「それは、ほかになむものしたまふ。されど、思しわくまじき女なむはべる」 と言ふ声、いたうねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり。 |
「そこにいる人は誰ですか。どのような方ですか」 と聞く。名乗りをして、 「侍従の君と申した方に、面会させていただきたい」 と言う。 「その人は、他へ行っておられます。けれども、同じように考えてくだっさてよい女房はおります」 と言う声は、ひどく年とっているが、聞いたことのある老人だと聞きつけた。 |
内には、思ひも寄らず、狩衣姿なる男、忍びやかにもてなし、なごやかなれば、見ならはずなりにける目にて、「もし、狐などの変化にや」とおぼゆれど、近う寄りて、 |
室内では、思いも寄らない、狩衣姿の男性が、ひっそりと振る舞い、物腰も柔らかなので、見馴れなくなってしまった目には、「もしや、狐などの変化のものではないか」と思われるが、近く寄って、 |
「たしかになむ、うけたまはらまほしき。変はらぬ御ありさまならば、尋ねきこえさせたまふべき御心ざしも、絶えずなむおはしますめるかし。今宵も行き過ぎがてに、止まらせたまへるを、いかが聞こえさせむ。うしろやすくを」 |
「はっきりと、お話を承りたい。昔と変わらないお暮らしならば、お訪ね申し上げなさるべきお気持ちも、今も変わらずにおありのようです。今宵も素通りしがたくて、お止まりあそばしたのだが、どのようにお返事申し上げましょう。どうぞご安心を」 |
と言へば、女どもうち笑ひて、 |
と言うと、女房たちは笑って、 |
「変はらせたまふ御ありさまならば、かかる浅茅が原を移ろひたまはでははべりなむや。ただ推し量りて聞こえさせたまへかし。年経たる人の心にも、たぐひあらじとのみ、めづらかなる世をこそは見たてまつり過ごしはべれ」 |
「お変わりあそばす御身の上ならば、このような浅茅が原をお移りにならずにおりましょうか。ただご推察申されてお伝えください。年老いた女房にとっても、またとあるまいと思われるほどの、珍しい身の上を拝見しながら過ごしてまいったのです」 |
と、ややくづし出でて、問はず語りもしつべきが、むつかしければ、 |
と、ぽつりぽつりと話し出して、問わず語りもし出しそうなのが、厄介なので、 |
「よしよし。まづ、かくなむ、聞こえさせむ」 とて参りぬ。 |
「よし、分かった。まず、そのように、申し上げましょう」 と言って帰参した。 |