第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋
5. 老夫婦、父娘の別れの歌
本文 |
現代語訳 |
秋のころほひなれば、もののあはれ取り重ねたる心地して、その日とある暁に、秋風涼しくて、虫の音もとりあへぬに、海の方を見出だしてゐたるに、入道、例の、後夜より深う起きて、鼻すすりうちして、行なひいましたり。いみじう言忌すれど、誰も誰もいとしのびがたし。 |
秋のころなので、もの悲しい気持ちが重なったような心地がして、上京という日の暁に、秋風が涼しく吹いて、虫の声もあわただしく鳴く折柄、海の方を眺めていると、入道が、いつものように、後夜より早く起き出して、鼻をすすりながら、勤行していらっしゃる。ひどく言葉に気をつけているが、誰も誰もたいそう堪え難い。 |
若君は、いともいともうつくしげに、夜光りけむ玉の心地して、袖よりほかに放ちきこえざりつるを、見馴れてまつはしたまへる心ざまなど、ゆゆしきまで、かく、人に違へる身をいまいましく思ひながら、「片時見たてまつらでは、いかでか過ぐさむとすらむ」と、つつみあへず。 |
若君は、とてもとてもかわいらしい感じで、あの夜光ったという玉のような心地がして、袖から外にお放し申さなかったが、見慣れてつきまとっていらっしゃる心根など、不吉なまでに、こう、通常の人と違ってしまった身をいまいましく思いながら、「片時も拝見しなくては、どのようにして過ごしてゆけようか」と、我慢しきれない。 |
「行く先をはるかに祈る別れ路に 堪へぬは老いの涙なりけり いともゆゆしや」 |
「姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して 堪えきれないのは老人の涙であるよ まったく縁起でもない」 |
とて、おしのごひ隠す。尼君、 |
と言って、涙を拭って隠す。尼君、 |
「もろともに都は出で来このたびや ひとり野中の道に惑はむ」 |
「ご一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は 一人で都へ帰る野中の道で迷うことでしょう」 |
とて、泣きたまふさま、いとことわりなり。ここら契り交はして積もりぬる年月のほどを思へば、かう浮きたることを頼みて、捨てし世に帰るも、思へばはかなしや。御方、 |
と言って、お泣きになる様子、まことに無理はない。長年契り交わしてきた年月のほどを思うと、このように当てにならないことを当てにして、捨てた都の生活に帰るのも、考えてみると頼りないことである。御方、 |
「いきてまたあひ見むことをいつとてか 限りも知らぬ世をば頼まむ 送りにだに」 |
「京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って 限りも分からない寿命を頼りにできましょうか せめて都まで送ってください」 |
と切にのたまへど、方々につけて、えさるまじきよしを言ひつつ、さすがに道のほども、いとうしろめたなきけしきなり。 |
と一生懸命にお頼みになるが、あれやこれやと、そうはできないことを言いながらも、そうはいっても、道中のことがたいそう気がかりな様子である。 |