第一章 明石の物語 母子の雪の別れ
4. 明石の母子の雪の別れ
本文 |
現代語訳 |
この雪すこし解けて渡りたまへり。例は待ちきこゆるに、さならむとおぼゆることにより、胸うちつぶれて、人やりならず、おぼゆ。 |
この雪が少し解けてお越しになった。いつもはお待ち申し上げているのに、きっとそうであろうと思われるために、胸がどきりとして、誰のせいでもない、自分の身分低いせいだと思わずにはいられない。 |
「わが心にこそあらめ。いなびきこえむをしひてやは、あぢきな」とおぼゆれど、「軽々しきやうなり」と、せめて思ひ返す。 |
「自分の一存によるのだわ。お断り申し上げたら無理はなさるまい。つまらないことを」と思わずにはいられないが、「軽率なようなことだわ」と、無理に思い返す。 |
いとうつくしげにて、前にゐたまへるを見たまふに、 |
とてもかわいらしくて、前に座っていらっしゃるのを御覧になると、 |
「おろかには思ひがたかりける人の宿世かな」 |
「おろそかには思えない宿縁の人だなあ」 |
と思ほす。この春より生ふす御髪、尼削ぎのほどにて、ゆらゆらとめでたく、つらつき、まみの薫れるほどなど、言へばさらなり。よそのものに思ひやらむほどの心の闇、推し量りたまふに、いと心苦しければ、うち返しのたまひ明かす。 |
とお思いになる。今年の春からのばしている御髪、尼削ぎ程度になって、ゆらゆらとしてみごとで、顔の表情、目もとのほんのりとした美しさなど、いまさら言うまでもない。他人の養女にして遠くから眺める母親の心惑いを推量なさると、まことに気の毒なので、繰り返して安心するように言って夜を明かす。 |
「何か。かく口惜しき身のほどならずだにもてなしたまはば」 |
「いいえ。取るに足りない身分でないようにお持てなしさえいただけしましたら」 |
と聞こゆるものから、念じあへずうち泣くけはひ、あはれなり。 |
と申し上げるものの、堪え切れずにほろっと泣く様子、気の毒である。 |
姫君は、何心もなく、御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、母君みづから抱きて出でたまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて、「乗りたまへ」と引くも、いみじうおぼえて、 |
姫君は、無邪気に、お車に乗ることをお急ぎになる。寄せてある所に、母君自身抱いて出ていらっしゃった。片言で、声はとてもかわいらしくて、袖をつかまえて、「お乗りなさい」と引っ張るのも、ひどく堪らなく悲しくて、 |
「末遠き二葉の松に引き別れ いつか木高きかげを見るべき」 |
「幼い姫君にお別れしていつになったら 立派に成長した姿を見ることができるのでしょう」 |
えも言ひやらず、いみじう泣けば、 |
最後まで言い切れず、ひどく泣くので、 |
「さりや。あな苦し」と思して、 |
「無理もない。ああ、気の毒な」とお思いになって、 |
「生ひそめし根も深ければ武隈の 松に小松の千代をならべむ のどかにを」 |
「生まれてきた因縁も深いのだから いづれ一緒に暮らせるようになりましょう 安心なさい」 |
と、慰めたまふ。さることとは思ひ静むれど、えなむ堪へざりける。乳母の少将とて、あてやかなる人ばかり、御佩刀、天児やうの物取りて乗る。人だまひによろしき若人、童女など乗せて、御送りに参らす。 |
と、慰めなさる。そうなることとは思って気持ちを落ち着けるが、とても堪えきれないのであった。乳母の少将と言った、気品のある女房だけが、御佩刀、天児のような物を持って乗る。お供の車には見苦しくない若い女房、童女などを乗せて、お見送りに行かせた。 |
道すがら、とまりつる人の心苦しさを、「いかに。罪や得らむ」と思す。 |
道中、後に残った人の気の毒さを、「どんなにつらかろう。罪を得ることだろうか」とお思いになる。 |