第三章 藤壺の物語 藤壺女院の崩御
2. 藤壺入道宮の病臥
本文 |
現代語訳 |
入道后の宮、春のはじめより悩みわたらせたまひて、三月にはいと重くならせたまひぬれば、行幸などあり。院に別れたてまつらせたまひしほどは、いといはけなくて、もの深くも思されざりしを、いみじう思し嘆きたる御けしきなれば、宮もいと悲しく思し召さる。 |
入道后の宮は、春の初めころからずっとお悩みになって、三月にはたいそう重くおなりになったので、行幸などがある。院に御死別申し上げられたころは、とても幼くて、深くもお悲しみにはならなかったが、たいそうお嘆きの御様子なので、宮もとても悲しく思わずにはいらっしゃれない。 |
「今年は、かならず逃るまじき年と思ひたまへつれど、おどろおどろしき心地にもはべらざりつれば、命の限り知り顔にはべらむも、人やうたて、ことことしう思はむと憚りてなむ、功徳のことなども、わざと例よりも取り分きてしもはべらずなりにける。 |
「今年は、必ずや逃れることのできない年回りと思っておりましたが、それほどひどい気分ではございませんでしたので、寿命を知っている顔をしますようなのも、人もいやに思い、わざとらしいと思うだろうと遠慮して、功徳の事なども、特に平素よりも取り立てて致しませんでした。 |
参りて、心のどかに昔の御物語もなど思ひたまへながら、うつしざまなる折少なくはべりて、口惜しく、いぶせくて過ぎはべりぬること」 |
参内して、ゆっくりと昔のお話でもなどと思っておりながら、気分のすっきりした時が少なうございまして、残念にも、鬱々として過ごしてしまいましたこと」 |
と、いと弱げに聞こえたまふ。 |
と、たいそう弱々しくお申し上げなさる。 |
三十七にぞおはしましける。されど、いと若く盛りにおはしますさまを、惜しく悲しと見たてまつらせたまふ。 |
三十七歳でいらっしゃるのであった。けれども、とてもお若く盛りでいらっしゃるご様子を、惜しく悲しく拝し上げあそばす。 |
「慎ませたまふべき御年なるに、晴れ晴れしからで、月ごろ過ぎさせたまふことをだに、嘆きわたりはべりつるに、御慎みなどをも、常よりことにせさせたまはざりけること」 |
「お慎みあそばさねばならないお年回りであるが、気分もすぐれず、何か月かをお過ごしになることでさえ、嘆き悲しんでおりましたのに、ご精進などをも、いつもより特別になさらなかったことよ」 |
と、いみじう思し召したり。ただこのころぞ、おどろきて、よろづのことせさせたまふ。月ごろは、常の御悩みとのみうちたゆみたりつるを、源氏の大臣も深く思し入りたり。限りあれば、ほどなく帰らせたまふも、悲しきこと多かり。 |
と、ひどく悲しくお思いであった。つい最近に、気づいて、いろいろなご祈祷をおさせあそばす。今までは、いつものご病気とばかり油断していたのだが、源氏の大臣も深くご心配になっていた。一定のきまりがあるので、間もなくお帰りあそばすのも、悲しいことが多かった。 |
宮、いと苦しうて、はかばかしうものも聞こえさせたまはず。御心のうちに思し続くるに、「高き宿世、世の栄えも並ぶ人なく、心のうちに飽かず思ふことも人にまさりける身」と思し知らる。主上の、夢のうちにも、かかる事の心を知らせたまはぬを、さすがに心苦しう見たてまつりたまひて、これのみぞ、うしろめたくむすぼほれたることに、思し置かるべき心地したまひける。 |
宮は、ひどく苦しくて、はきはきとお話し申し上げることができない。ご心中思い続けなさるに、「高い宿縁、この世の繁栄も並ぶ人がなく、心の中に物足りなく思うことも人一倍多い身であった」と思わずにはいらっしゃれない。主上が、夢の中にも、こうした事情を御存じあそばされないのを、それでもはやりお気の毒に拝し上げなさって、この事だけを、気がかりで心の晴れないこととして、死後にも思い続けそうな気がなさるのであった。 |