第五章 夕霧の物語 幼恋の物語
4. 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬
本文 |
現代語訳 |
宮の御文にて、 |
大宮のお手紙で、 |
「大臣こそ、恨みもしたまはめ、君は、さりとも心ざしのほども知りたまふらむ。渡りて見えたまへ」 |
「内大臣は、お恨みでしょうが、あなたは、こうはなってもわたしの気持ちはわかっていただけるでしょう。いらっしゃってお顔をお見せください」 |
と聞こえたまへれば、いとをかしげにひきつくろひて渡りたまへり。十四になむおはしける。かたなりに見えたまへど、いと子めかしう、しめやかに、うつくしきさましたまへり。 |
と差し上げなさると、とても美しく装束を整えていらっしゃった。十四歳でいらっしゃった。まだ十分に大人にはお見えでないが、とてもおっとりとしていらして、しとやかで、美しい姿態をしていらっしゃった。 |
「かたはらさけたてまつらず、明け暮れのもてあそびものに思ひきこえつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残りすくなき齢のほどにて、御ありさまを見果つまじきことと、命をこそ思ひつれ、今さらに見捨てて移ろひたまふや、いづちならむと思へば、いとこそあはれなれ」 |
「いままでお側をお離し申さず、明け暮れの話相手とお思い申していたのに、とても寂しいことですね。残り少ない晩年に、あなたのご将来を見届けることができないことは、寿命と思いますが、今のうちから見捨ててお移りになる先が、どこかしらと思うと、とても不憫でなりません」 |
とて泣きたまふ。姫君は、恥づかしきことを思せば、顔ももたげたまはで、ただ泣きにのみ泣きたまふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、 |
と言ってお泣きになる。姫君は、恥ずかしいこととお思いになると、顔もお上げにならず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。男君の御乳母の、宰相の君が出て来て、 |
「同じ君とこそ頼みきこえさせつれ、口惜しくかく渡らせたまふこと。殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせたまふな」 |
「同じご主人様とお頼り申しておりましたが、残念にもこのようにお移りあそばすとは。内大臣殿は別にお考えになるところがおありでも、そのようにお思いあそばしますな」 |
など、ささめき聞こゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物ものたまはず。 |
などと、ひそひそと申し上げると、いっそう恥ずかしくお思いになって、何ともおっしゃらない。 |
「いで、むつかしきことな聞こえられそ。人の御宿世宿世、いと定めがたく」 |
「いえもう、厄介なことは申し上げなさいますな。人の運命はそれぞれで、とても先のことは分からないもので」 |
とのたまふ。 |
とおっしゃる。 |
「いでや、ものげなしとあなづりきこえさせたまふにはべるめりかし。さりとも、げに、わが君人に劣りきこえさせたまふと、聞こしめし合はせよ」 |
「いえいえ、一人前でないとお侮り申していらっしゃるのでしょう。今はそうですが、わたくしどもの若君が人にお劣り申していらっしゃるかどうか、どなたにでもお聞き合わせくださいませ」 |
と、なま心やましきままに言ふ。 |
と、癪にさわるのにまかせて言う。 |
冠者の君、物のうしろに入りゐて見たまふに、人の咎めむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おし拭ひつつおはするけしきを、御乳母、いと心苦しう見て、宮にとかく聞こえたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせたまへり。 |
冠者の君は、物陰に入って御覧になると、人が見咎めるのも、何でもない時は苦しいだけであったが、とても心細くて、涙を拭いながらいらっしゃる様子を、御乳母が、とても気の毒に見て、大宮にいろいろとご相談申し上げて、夕暮の人の出入りに紛れて、対面させなさった。 |
かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物も言はで泣きたまふ。 |
お互いに何となく恥ずかしく胸がどきどきして、何も言わないでお泣きになる。 |
「大臣の御心のいとつらければ、さはれ、思ひやみなむと思へど、恋しうおはせむこそわりなかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日ごろ、よそに隔てつらむ」 |
「内大臣のお気持ちがとてもつらいので、ままよ、いっそ諦めようと思いますが、恋しくいらっしゃてたまらないです。どうして、少しお逢いできそうな折々があったころは、離れて過ごしていたのでしょう」 |
とのたまふさまも、いと若うあはれげなれば、 |
とおっしゃる様子も、たいそう若々しく痛々しげなので、 |
「まろも、さこそはあらめ」 |
「わたしも、あなたと同じ思いです」 |
とのたまふ。 |
とおっしゃる。 |
「恋しとは思しなむや」 |
「恋しいと思ってくださるでしょうか」 |
とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、幼げなり。 |
とおっしゃると、ちょっとうなずきなさる様子も、幼い感じである。 |