TOP  総目次  源氏物語目次   前へ 次へ
乙女

第六章 夕霧の物語 五節舞姫への恋

3. 宮中における五節の儀

 

本文

現代語訳

 浅葱の心やましければ、内裏へ参ることもせず、もの憂がりたまふを、五節にことつけて、直衣など、さま変はれる色聴されて参りたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、されありきたまふ。帝よりはじめたてまつりて、思したるさまなべてならず、世にめづらしき御おぼえなり。

 浅葱の服が嫌なので、宮中に参内することもせず、億劫がっていらっしゃるのを、五節だからというので、直衣なども特別の衣服の色を許されて参内なさる。いかにも幼げで美しい方であるが、お年のわりに大人っぽくて、しゃれてお歩きになる。帝をはじめ参らせて、大切になさる様子は並大抵でなく、世にも珍しいくらいのご寵愛である。

 五節の参る儀式は、いづれともなく、心々に二なくしたまへるを、「舞姫の容貌、大殿と大納言とはすぐれたり」とめでののしる。げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿のには、え及ぶまじかりけり。

 五節の参内する儀式は、いずれ劣らず、それぞれがこの上なく立派になさっているが、「舞姫の器量は、大殿と大納言のとは素晴らしい」という大評判である。なるほど、とてもきれいであるが、おっとりとして可憐なさまは、やはり大殿のには、かないそうもなかった。

 ものきよげに今めきて、そのものとも見ゆまじう仕立てたる様体などの、ありがたうをかしげなるを、かう誉めらるるなめり。例の舞姫どもよりは、皆すこしおとなびつつ、げに心ことなる年なり。

 どことなくきれいな感じの当世風で、誰の娘だか分からないよう飾り立てた姿態などが、めったにないくらい美しいのを、このように褒められるようである。例年の舞姫よりは、皆少しずつ大人びていて、なるほど特別な年である。

 殿参りたまひて御覧ずるに、昔御目とまりたまひし少女の姿思し出づ。辰の日の暮つ方つかはす。御文のうち思ひやるべし。

 大殿が宮中に参内なさって御覧になると、昔お目をとどめなさった少女の姿をお思い出しになる。辰の日の暮方に手紙をやる。その内容はご想像ください。

 「乙女子も神さびぬらし天つ袖

   古き世の友よはひ経ぬれば」

 「少女だったあなたも神さびたことでしょう

   天の羽衣を着て舞った昔の友も長い年月を経たので」

 年月の積もりを数へて、うち思しけるままのあはれを、え忍びたまはぬばかりの、をかしうおぼゆるも、はかなしや。

 歳月の流れを数えて、ふとお思い出しになられたままの感慨を、堪えることができずに差し上げたのが、胸をときめかせるのも、はかないことであるよ。

 「かけて言へば今日のこととぞ思ほゆる

   日蔭の霜の袖にとけしも」

 「五節のことを言いますと、昔のことが今日のことのように思われます

   日蔭のかずらを懸けて舞い、お情けを頂戴したことが」

 青摺りの紙よくとりあへて、紛らはし書いたる、濃墨、薄墨、草がちにうち交ぜ乱れたるも、人のほどにつけてはをかしと御覧ず。

 青摺りの紙をよく間に合わせて、誰の筆跡だか分からないように書いた、濃く、また薄く、草体を多く交えているのも、あの身分にしてはおもしろいと御覧になる。

 冠者の君も、人の目とまるにつけても、人知れず思ひありきたまへど、あたり近くだに寄せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心には、嘆かしうてやみぬ。容貌はしも、いと心につきて、つらき人の慰めにも、見るわざしてむやと思ふ。

 冠者の君も、少女に目が止まるにつけても、ひそかに思いをかけてあちこちなさるが、側近くにさえ寄せず、たいそう無愛想な態度をしているので、もの恥ずかしい年頃の身では、心に嘆くばかりであった。器量はそれは、とても心に焼きついて、つれない人に逢えない慰めにでも、手に入れたいものだと思う。



TOP  総目次  源氏物語目次 ページトップへ  前へ 次へ