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乙女

第六章 夕霧の物語 五節舞姫への恋

5. 花散里、夕霧の母代となる

 

本文

現代語訳

 かの人は、文をだにえやりたまはず、立ちまさる方のことし心にかかりて、ほど経るままに、わりなく恋しき面影にまたあひ見でやと思ふよりほかのことなし。宮の御もとへ、あいなく心憂くて参りたまはず。おはせしかた、年ごろ遊び馴れし所のみ、思ひ出でらるることまされば、里さへ憂くおぼえたまひつつ、また籠もりゐたまへり。

 あの若君は、手紙をやることさえおできになれず、一段と恋い焦がれる方のことが心にかかって、月日がたつにつれて、無性に恋しい面影に再び会えないのではないかとばかり思っている。大宮のお側へも、何となく気乗りがせず参上なさらない。いらっしゃったお部屋や長年一所に遊んだ所ばかりが、ますます思い出されるので、里邸までが疎ましくお思いになられて、籠もっていらっしゃった。

 「大宮の御世の残り少なげなるを、おはせずなりなむのちも、かく幼きほどより見ならして、後見おぼせ」

 「大宮のご寿命も大したことがないので、お亡くなりになった後も、このように子供の時から親しんで、お世話してください」

 と聞こえたまへば、ただのたまふままの御心にて、なつかしうあはれに思ひ扱ひたてまつりたまふ。

  ほのかになど見たてまつるにも、

 と申し上げなさると、ただおっしゃっるとおりになさるご性質なので、親しくかわいがって上げなさる。

 ちらっとなどお顔を拝見しても、

 「容貌のまほならずもおはしけるかな。かかる人をも、人は思ひ捨てたまはざりけり」など、「わが、あながちに、つらき人の御容貌を心にかけて恋しと思ふもあぢきなしや。心ばへのかやうにやはらかならむ人をこそあひ思はめ」

 「器量はさほどすぐれていないな。このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」などと、「自分は、無性に、つらい人のご器量を心にかけて恋しいと思うのもつまらないことだ。気立てがこのように柔和な方をこそ愛し合いたいものだ」

 「向ひて見るかひなからむもいとほしげなり。かくて年経たまひにけれど、殿の、さやうなる御容貌、御心と見たまうて、浜木綿ばかりの隔てさし隠しつつ、何くれともてなし紛らはしたまふめるも、むべなりけり」

  と思ふ心のうちぞ、恥づかしかりける。

 

 「向かい合っていて見ていられないようなのも気の毒な感じだ。こうして長年連れ添っていらっしゃったが、父上が、そのようなご器量を、承知なさったうえで、浜木綿ほどの隔てを置き置きして、何やかやとなさって見ないようにしていらっしゃるらしいのも、もっともなことだ」

  と考える心の中は、大したほどである。

 

 大宮の容貌ことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも、人は容貌よきものとのみ目馴れたまへるを、もとよりすぐれざりける御容貌の、ややさだ過ぎたる心地して、痩せ痩せに御髪少ななるなどが、かくそしらはしきなりけり。

 大宮の器量は格別でいらっしゃるが、まだたいそう美しくいらっしゃり、こちらでもあちらでも、女性は器量のよいものとばかり目馴れていらっしゃるが、もともとさほどでなかったご器量が、少し盛りが過ぎた感じがして、痩せてみ髪が少なくなっているのなどが、このように難をつけたくなるのであった。



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