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乙女

第七章 光る源氏の物語 六条院造営

2. 弘徽殿大后を見舞う

 

本文

現代語訳

 夜更けぬれど、かかるついでに、大后の宮おはします方を、よきて訪らひきこえさせたまはざらむも、情けなければ、帰さに渡らせたまふ。大臣もろともにさぶらひたまふ。

 夜は更けてしまったが、このような機会に、太后宮のいらっしゃる方を、避けてお伺い申し上げなさらないのも、思いやりがないので、帰りにお立ち寄りになる。大臣もご一緒に伺候なさる。

 后待ち喜びたまひて、御対面あり。いといたうさだ過ぎたまひにける御けはひにも、故宮を思ひ出できこえたまひて、「かく長くおはしますたぐひもおはしけるものを」と、口惜しう思ほす。

 大后宮はお待ち喜びになって、ご面会なさる。とてもたいそうお年を召されたご様子にも、故宮をお思い出し申されて、「こんなに長生きされる方もいらっしゃるものを」と、残念にお思いになる。

 「今はかく古りぬる齢に、よろづのこと忘られはべりにけるを、いとかたじけなく渡りおはしまいたるになむ、さらに昔の御世のこと思ひ出でられはべる」

 「今ではこのように年を取って、すべての事柄を忘れてしまっておりましたが、まことに畏れ多くもお越し戴きましたので、改めて昔の御代のことが思い出されます」

 と、うち泣きたまふ。

と、お泣きになる。

 「さるべき御蔭どもに後れはべりてのち、春のけぢめも思うたまへわかれぬを、今日なむ慰めはべりぬる。またまたも」

 「頼りになるはずの人々に先立たれて後、春になった気分も知らないでいましたが、今日初めて心慰めることができました。時々はお伺い致します」

 と聞こえたまふ。大臣もさるべきさまに聞こえて、

 と御挨拶申し上げあそばす。太政大臣もしかるべくご挨拶なさって、

 「ことさらにさぶらひてなむ」

 「また改めてお伺い致しましょう」

 と聞こえたまふ。のどやかならで帰らせたまふ響きにも、后は、なほ胸うち騒ぎて、

  「いかに思し出づらむ。世をたもちたまふべき御宿世は、消たれぬものにこそ」

  と、いにしへを悔い思す。

 と、申し上げなさる。ゆっくりなさらずにお帰りあそばすご威勢につけても、大后は、やはりお胸が静まらず、

  「どのように思い出していられるのだろう。結局、政権をお執りになるというご運勢は、押しつぶせなかったのだ」

  と昔を後悔なさる。

 尚侍の君も、のどやかに思し出づるに、あはれなること多かり。今もさるべき折、風のつてにもほのめききこえたまふこと絶えざるべし。

 尚侍の君も、ゆったりした気分でお思い出しになると、しみじと感慨無量な事が多かった。今でも適当な機会に、何かの伝で密かに便りを差し上げなさることがあるのであろう。

 后は、朝廷に奏せさせたまふことある時々ぞ、御たうばりの年官年爵、何くれのことに触れつつ、御心にかなはぬ時ぞ、「命長くてかかる世の末を見ること」と、取り返さまほしう、よろづ思しむつかりける。

  老いもておはするままに、さがなさもまさりて、院もくらべ苦しう、たとへがたくぞ思ひきこえたまひける。

 大后は朝廷に奏上なさることのある時々に、御下賜された年官や年爵、何かにつけながら、ご意向に添わない時には、「長生きをしてこんな酷い目に遭うとは」と、もう一度昔の御代に取り戻したく、いろいろとご機嫌悪がっているのであった。

  年を取っていかれるにつれて、意地の悪さも加わって、院ももてあまして、例えようもなくお思い申し上げていらっしゃるのだった。

 かくて、大学の君、その日の文うつくしう作りたまひて、進士になりたまひぬ。年積もれるかしこき者どもを選らばせたまひしかど、及第の人、わづかに三人なむありける。

 さて、大学の君は、その日の漢詩を見事にお作りになって、進士におなりになった。長い年月修業した優れた者たちをお選びになったが、及第した人は、わずかに三人だけであった。

 秋の司召に、かうぶり得て、侍従になりたまひぬ。かの人の御こと、忘るる世なけれど、大臣の切にまもりきこえたまふもつらければ、わりなくてなども対面したまはず。御消息ばかり、さりぬべきたよりに聞こえたまひて、かたみに心苦しき御仲なり。

 秋の司召に、五位に叙されて、侍従におなりになった。あの人のことを、忘れる時はないが、内大臣が熱心に監視申していらっしゃるのも恨めしいので、無理をしてまでもお目にかかることはなさらない。ただお手紙だけを適当な機会に差し上げて、お互いに気の毒なお仲である。



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