第一章 玉鬘の物語 筑紫流離の物語
4. 玉鬘への求婚
本文 |
現代語訳 |
聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ消息がる、いと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰も聞き入れず。 |
聞きつけ聞きつけては、好色な田舎の男どもが、懸想をして手紙をよこしたがる者が、多くいた。滅相もない身のほど知らずなと思われるので、誰も誰も相手にしない。 |
「容貌などは、さてもありぬべけれど、いみじきかたはのあれば、人にも見せで尼になして、わが世の限りは持たらむ」 |
「顔かたちなどは、まあ十人並と言えましょうが、ひどく不具なところがありますので、結婚させないで尼にして、私の生きているうちは面倒をみよう」 |
と言ひ散らしたれば、 |
と言い触らしていたので、 |
「故少弐の孫は、かたはなむあんなる」 「あたらものを」 |
「亡くなった少弍殿の孫は、不具なところがあるそうだ」 「惜しいことだわい」 |
と、言ふなるを聞くもゆゆしく、 |
と、人々が言っているらしいのを聞くのも忌まわしく、 |
「いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知らせたてまつらむ。いときなきほどを、いとらうたしと思ひきこえたまへりしかば、さりともおろかには思ひ捨てきこえたまはじ」 |
「どのようにして、都にお連れ申して、父大臣にお知らせ申そう。幼い時分を、とてもかわいいとお思い申していられたから、いくら何でもいいかげんにお見捨て申されることはあるまい」 |
など言ひ嘆くほど、仏神に願を立ててなむ念じける。 |
などと言って嘆くとき、仏神に願かけ申して祈るのであった。 |
娘どもも男子どもも、所につけたるよすがども出で来て、住みつきにたり。心のうちにこそ急ぎ思へど、京のことはいや遠ざかるやうに隔たりゆく。もの思し知るままに、世をいと憂きものに思して、年三などしたまふ。二十ばかりになりたまふままに、生ひととのほりて、いとあたらしくめでたし。 |
娘たちも息子たちも、場所相応の縁も生じて住み着いてしまっていた。心の中でこそ急いでいたが、都のことはますます遠ざかるように隔たっていく。分別がおつきになっていくにつれて、わが身の運命をとても不幸せにお思いになって、年三の精進などをなさる。二十歳ほどになっていかれるにつれて、すっかり美しく成人されて、たいそうもったいない美人である。 |
この住む所は、肥前国とぞいひける。そのわたりにもいささか由ある人は、まづこの少弐の孫のありさまを聞き伝へて、なほ、絶えず訪れ来るも、いといみじう、耳かしかましきまでなむ。 |
姫君の住んでいる所は、肥前の国と言った。その周辺で少しばかり風流な人は、まずこの少弍の孫娘の様子を聞き伝えて、断られても断られても、なおも絶えずやって来る者がいるのは、とても大変なもので、うるさいほどである。 |