第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出
3. 大夫の監、和歌を詠み贈る
本文 |
現代語訳 |
下りて行く際に、歌詠ままほしかりければ、やや久しう思ひめぐらして、 |
降りて行く際に、和歌を詠みたく思ったので、だいぶ長いこと思いめぐらして、 |
「君にもし心違はば松浦なる 鏡の神をかけて誓はむ この和歌は、仕うまつりたりとなむ思ひたまふる」 |
「姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと 松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います この和歌は、上手にお詠み申すことができたと我ながら存じます」 |
と、うち笑みたるも、世づかずうひうひしや。あれにもあらねば、返しすべくも思はねど、娘どもに詠ますれど、 「まろは、ましてものもおぼえず」 とてゐたれば、いと久しきに思ひわびて、うち思ひけるままに、 |
と言って、微笑んでいるのも、不慣れで幼稚な歌であるよ。気が気ではなく、返歌をするどころではなく、娘たちに詠ませたが、 「私は、さらに何することもできません」 と言ってじっとしていたので、とても時間が長くなってはと困って、思いつくままに、 |
「年を経て祈る心の違ひなば 鏡の神をつらしとや見む」 |
「長年祈ってきましたことと違ったならば 鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう」 |
とわななかし出でたるを、 |
と震え声で詠み返したのを、 |
「待てや。こはいかに仰せらるる」 |
「待てよ。それはどういう意味なのでしょうか」 |
と、ゆくりかに寄り来たるけはひに、おびえて、おとど、色もなくなりぬ。娘たち、さはいへど、心強く笑ひて、 |
と、不意に近寄って来た様子に、怖くなって、乳母殿は、血の気を失った。娘たちは、さすがに、気丈に笑って、 |
「この人の、さまことにものしたまふを、引き違へ、いづらは思はれむを、なほ、ほけほけしき人の、神かけて、聞こえひがめたまふなめりや」 |
「姫君が、普通でない身体でいらっしゃるのを、せっかくのお気持ちに背きましたらなら、悔いることになりましょうものを、やはり、耄碌した人のことですから、神のお名前まで出して、うまくお答え申し上げ損ねられたのでしょう」 |
と解き聞かす。 |
と説明して上げる。 |
「おい、さり、さり」とうなづきて、 |
「おお、そうか、そうか」とうなづいて、 |
「をかしき御口つきかな。なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、口惜しき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。な思しあなづりそ」 |
「なかなか素晴らしい詠みぶりであるよ。手前らは、田舎者だという評判こそござろうが、詰まらない民百姓どもではござりませぬ。都の人だからといって、何ということがあろうか。皆先刻承知でござる。決して馬鹿にしてはなりませぬぞ」 |
とて、また、詠まむと思へれども、堪へずやありけむ、往ぬめり。 |
と言って、もう一度、和歌を詠もうとしたが、とてもできなかったのであろうか、行ってしまったようである。 |