第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅
2. 初瀬の観音へ参詣
本文 |
現代語訳 |
「うち次ぎては、仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり。まして、わが国のうちにこそ、遠き国の境とても、年経たまへれば、若君をば、まして恵みたまひてむ」 |
「次いでは、仏様の中では、初瀬に、日本でも霊験あらたかでいらっしゃると、唐土でも評判の高いといいます。まして、わが国の中で、遠い地方といっても、長年お住みになったのだから、姫君には、なおさら御利益があるでしょう」 |
とて、出だし立てたてまつる。ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬ心地に、いとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。 |
と言って、出発させ申し上げる。わざと徒歩で参詣することにした。慣れないこととて、とても辛く苦しいけれど、人の言うのにしたがって、無我夢中で歩いて行かれる。 |
「いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ。わが親、世に亡くなりたまへりとも、われをあはれと思さば、おはすらむ所に誘ひたまへ。もし、世におはせば、御顔見せたまへ」 |
「どのような前世の罪業深い身であったために、このような流浪の日を送るのだろう。わたしの母親が、既にお亡くなりになっていらっしゃろうとも、わたしをかわいそうだとお思いになってくださるなら、いらっしゃるところへお連れください。もし、この世に生きていらっしゃるならば、お顔をお見せください」 |
と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。 |
と、仏に願いながら、生きていらしたときの面影をすら知らないので、ただ、「母親が生きていらしたら」と、ばかりの一途な悲しい思いを、嘆き続けていらっしゃったので、こうして今、慣れない徒歩の旅で、辛くて堪らないうちに、また改めて悲しい思いをかみしめながら、やっとのことで、椿市という所に、四日目の巳の刻ごろに、生きた心地もしないで、お着きになった。 |
歩むともなく、とかくつくろひたれど、足のうら動かれず、わびしければ、せむかたなくて休みたまふ。この頼もし人なる介、弓矢持ちたる人二人、さては下なる者、童など三、四人、女ばらある限り三人、壺装束して、樋洗めく者、古き下衆女二人ばかりとぞある。 |
歩くともいえないありさまで、あれこれとどうにかやって来たが、もう一歩も歩くこともできず、辛いので、どうすることもできずお休みになる。この一行の頼りとする豊後介、弓矢を持たせている者が二人、その他には下衆と童たち三、四人、女性たちはすべてで三人、壷装束姿で、樋洗童女らしい者と老婆の下衆女房とが二人ほどいた。 |
いとかすかに忍びたり。大御燈明のことなど、ここにてし加へなどするほどに日暮れぬ。家主人の法師、 |
ひどく目立たないようにしていた。仏前に供えるお灯明など、ここで買い足しなどをしているうちに日が暮れた。宿の主人の法師が、 |
「人宿したてまつらむとする所に、何人のものしたまふぞ。あやしき女どもの、心にまかせて」 |
「他の方をお泊め申そうとしているお部屋に、どなたがお入りになっているのですか。下女たちが、勝手なことをして」 |
とむつかるを、めざましく聞くほどに、げに、人びと来ぬ。 |
と不平を言うのを、失礼なと思って聞いているうちに、なるほど、その人々が来た。 |