第三章 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅
9. 右近、玉鬘一行と約束して別れる
本文 |
現代語訳 |
参り集ふ人のありさまども、見下さるる方なり。前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近、 |
参詣する人々の様子が、見下ろせる所である。前方を流れる川は、初瀬川というのであった。右近は、 |
「二本の杉のたちどを尋ねずは 古川野辺に君を見ましや うれしき瀬にも」 |
「二本の杉の立っている長谷寺に参詣しなかったなら 古い川の近くで姫君にお逢いできたでしょうか 『嬉しき逢瀬です』」 |
と聞こゆ。 |
と申し上げる。 |
「初瀬川はやくのことは知らねども 今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ」 |
「昔のことは知りませんが、今日お逢いできた 嬉し涙でこの身まで流れてしまいそうです」 |
と、うち泣きておはするさま、いとめやすし。 |
とお詠みになって、泣いていらっしゃる様子、とても好感がもてる。 |
「容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちこちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし。いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ」 |
「ご器量はとてもこのように素晴らしく美しくいらしても、田舎人めいて、ごつごつしていらっしゃったら、どんなにか玉の瑕になったことであろうに。いやもう、立派に、どうしてこのようにご成長されたのであろう」 |
と、おとどをうれしく思ふ。 |
と、乳母殿に感謝する。 |
母君は、ただいと若やかにおほどかにて、やはやはとぞ、たをやぎたまへりし。これは気高く、もてなしなど恥づかしげに、よしめきたまへり。筑紫を心にくく思ひなすに、皆、見し人は里びにたるに、心得がたくなむ |
母君は、ただたいそう若々しくおっとりしていて、なよなよと、しなやかでいらした。この姫君は気品が高く、動作などもこちらが恥ずかしくなるくらいに、優雅でいらっしゃる。筑紫の地を奥ゆかしく思ってみるが、皆、他の人々は田舎人めいてしまったのも、合点が行かない。 |
暮るれば、御堂に上りて、またの日も行なひ暮らしたまふ。 |
日が暮れたので、御堂に上って、翌日も同じように勤行してお過ごしになる。 |
秋風、谷より遥かに吹きのぼりて、いと肌寒きに、ものいとあはれなる心どもには、よろづ思ひ続けられて、人並々ならむこともありがたきことと思ひ沈みつるを、この人の物語のついでに、父大臣の御ありさま、腹々の何ともあるまじき御子ども、皆ものめかしなしたてたまふを聞けば、かかる下草頼もしくぞ思しなりぬる。 |
秋風が、谷から遥かに吹き上がってきて、とても肌寒く感じられる上に、感慨無量の人々にとっては、それからそれへと連想されて、人並みになるようなことも難しいことと沈みこんでいたが、この右近の話の中に、父内大臣のご様子、他のたいしたことのない方々が生んだご子息たちも、皆一人前になさっていることを聞くと、このような日陰者も頼もしく、お思いになるのであった。 |
出づとても、かたみに宿る所も問ひ交はして、もしまた追ひ惑はしたらむ時と、危ふく思ひけり。右近が家は、六条の院近きわたりなりければ、ほど遠からで、言ひ交はすもたつき出で来ぬる心地しけり。 |
出る時にも、互いに住所を聞き交わして、もしも再び姫君の行く方が分からなくなってしまってはと、心配に思うのであった。右近の家は、六条院の近辺だったので、程遠くないので、話し合うにも便宜ができた心地がしたのであった。 |