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初音

第二章 光る源氏の物語 二条東院の女性たちの物語    

2. 続いて空蝉を訪問     

 

本文

現代語訳

 空蝉の尼衣にも、さしのぞきたまへり。うけばりたるさまにはあらず、かごやかに局住みにしなして、仏ばかりに所得させたてまつりて、行なひ勤めけるさまあはれに見えて、経、仏の御飾り、はかなくしたる閼伽の具なども、をかしげになまめかしう、なほ心ばせありと見ゆる人のけはひなり。

 空蝉の尼君にも、お立ち寄りになった。ご大層な様子ではなく、ひっそりと部屋住みのような体にして、仏ばかりに広く場所を差し上げて、勤行している様子がしみじみと感じられて、経や、仏のお飾り、ちょっとしたお水入れの道具なども、風情があり優美で、やはり嗜みがあると見える人柄である。

 青鈍の几帳、心ばへをかしきに、いたくゐ隠れて、袖口ばかりぞ色ことなるしもなつかしければ、涙ぐみたまひて、

 青鈍の几帳、意匠も面白いのに、すっかり身を隠して、袖口だけが格別なのも心惹かれる感じなので、涙ぐみなさって、

 「『松が浦島』をはるかに思ひてぞやみぬべかりける。昔より心憂かりける御契りかな。さすがにかばかりの御睦びは、絶ゆまじかりけるよ」

 「『松が浦島』は遥か遠くに思って諦めるべきだったのですね。昔からつらいご縁でしたなあ。そうはいってもやはりこの程度の付き合いは、絶えないのでしたね」

 などのたまふ。尼君も、ものあはれなるけはひにて、

 などとおっしゃる。尼君も、しみじみとした様子で、

 「かかる方に頼みきこえさするしもなむ、浅くはあらず思ひたまへ知られはべりける」

 「このようなことでご信頼申し上げていますのも、ご縁は浅くないのだと存じられます」

 と聞こゆ。

 と申し上げる。

 「つらき折々重ねて、心惑はしたまひし世の報いなどを、仏にかしこまりきこゆるこそ苦しけれ。思し知るや。かくいと素直にもあらぬものをと、思ひ合はせたまふこともあらじやはとなむ思ふ」

 「薄情な仕打ちを何度もなさって、心を惑わしなさった罪の報いなどを、仏に懺悔申し上げるとはお気の毒なことです。ご存じですか。このように素直な者はいないのだと、お気づきになることもありはしないかと思います」

 とのたまふ。「かのあさましかりし世の古事を聞き置きたまへるなめり」と、恥づかしく、

 とおっしゃる。「あのあきれた昔のことをお聞きになっていたのだ」と、恥ずかしく、

 「かかるありさまを御覧じ果てらるるよりほかの報いは、いづくにかはべらむ」

 「このような姿をすっかり御覧になられてしまったことより他に、どのような報いがございましょうか」

 とて、まことにうち泣きぬ。いにしへよりももの深く恥づかしげさまさりて、かくもて離れたること、と思すしも、見放ちがたく思さるれど、はかなきことをのたまひかくべくもあらず、おほかたの昔今の物語をしたまひて、「かばかりの言ふかひだにあれかし」と、あなたを見やりたまふ。

 と言って、心の底から泣いてしまった。昔よりもいっそうどことなく思慮深く気が引けるようなところがまさって、このような出家の身を守っているのだ、とお思いになると、見放しがたく思わずにはいらっしゃれないが、ちょっとした色めいた冗談も話しかけるべきではないので、普通の昔や今の話をなさって、「せめてこの程度の話相手であってほしいものよ」と、あちらの方を御覧になる。

 かやうにても、御蔭に隠れたる人びと多かり。皆さしのぞきわたしたまひて、

 このようなことで、ご庇護になっている婦人方は多かった。皆一通りお立ち寄りになって、

 「おぼつかなき日数つもる折々あれど、心のうちはおこたらずなむ。ただ限りある道の別れのみこそうしろめたけれ。『命を知らぬ』」

 「お目にかかれない日が続くこともありますが、心の中では忘れていません。ただいつかは死出の別れが来るのが気がかりです。『誰も寿命は分からないものです』」

 など、なつかしくのたまふ。いづれをも、ほどほどにつけてあはれと思したり。我はと思しあがりぬべき御身のほどなれど、さしもことことしくもてなしたまはず、所につけ、人のほどにつけつつ、さまざまあまねくなつかしくおはしませば、ただかばかりの御心にかかりてなむ、多くの人びと年を経ける。

 などと、やさしくおっしゃる。どの人をも、身分相応につけて愛情を持っていらっしゃった。自分こそはと気位高く構えてもよさそうなご身分の方であるが、そのように尊大にはお振る舞いにはならず、場所柄につけ、また相手の身分につけては、どなたにもやさしくいらっしゃるので、ただこのようなお心配りをよりどころとして、多くの婦人方が年月を送っているのであった。



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