第二章 光る源氏の物語 夏の町の物語
1. 五月五日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問
本文 |
現代語訳 |
五日には、馬場の御殿に出でたまひけるついでに、渡りたまへり。 |
五日には、馬場殿にお出ましになった機会に、お越しになった。 |
「いかにぞや。宮は夜や更かしたまひし。いたくも馴らしきこえじ。わづらはしき気添ひたまへる人ぞや。人の心破り、ものの過ちすまじき人は、かたくこそありけれ」 |
「どうでしたか。宮は夜更けまでいらっしゃいましたか。あまりお近づけ申さないように。やっかいなお癖がおありの方ですよ。女の心を傷つけたり、何かの間違いをしないような男は、めったにいないものですよ」 |
など、活けみ殺しみ戒めおはする御さま、尽きせず若くきよげに見えたまふ。艶も色もこぼるばかりなる御衣に、直衣はかなく重なれるあはひも、いづこに加はれるきよらにかあらむ、この世の人の染め出だしたると見えず、常の色も変へぬ文目も、今日はめづらかに、をかしくおぼゆる薫りなども、「思ふことなくは、をかしかりぬべき御ありさまかな」と姫君思す。 |
などと、誉めたりけなしたりしながら注意していらっしゃるご様子は、どこまでも若々しく美しくお見えになる。光沢も色彩もこぼれるほどの御衣に、お直衣が無造作に重ね着されている色合いも、どこに普通と違う美しさがあるのであろうか、この世の人が染め出したものとも見えず、普通の直衣の色模様も、今日は特に珍しく見事に見え、素晴らしく思われる薫りなども、「物思いがなければ、どんなに素晴らしく思われるにちがいないお姿だろう」と姫君はお思いになる。 |
宮より御文あり。白き薄様にて、御手はいとよしありて書きなしたまへり。見るほどこそをかしけれ、まねび出づれば、ことなることなしや。 |
宮からお手紙がある。白い薄様で、ご筆跡はとても優雅にお書きになっていらっしゃる。見ていた時には素晴らしかったが、こう口にすると、たいしたことはないものだ。 |
「今日さへや引く人もなき水隠れに 生ふる菖蒲の根のみ泣かれむ」 |
「今日までも引く人もない水の中に隠れて生えている菖蒲の根のように 相手にされないわたしはただ声を上げて泣くだけなのでしょうか」 |
例にも引き出でつべき根に結びつけたまへれば、「今日の御返り」などそそのかしおきて、出でたまひぬ。これかれも、「なほ」と聞こゆれば、御心にもいかが思しけむ、 |
話題にもなりそうな長い菖蒲の根に文を結んでいらっしゃったので、「今日のお返事を」などとお勧めしておいて、お出になった。誰彼も「やはり、ご返事を」と申し上げるので、ご自身どう思われたであろうか、 |
「あらはれていとど浅くも見ゆるかな 菖蒲もわかず泣かれける根の 若々しく」 |
「きれいに見せていただきましてますます浅く見えました わけもなく泣かれるとおっしゃるあなたのお気持ちは お年に似合わないこと」 |
とばかり、ほのかにぞあめる。「手を今すこしゆゑづけたらば」と、宮は好ましき御心に、いささか飽かぬことと見たまひけむかし。 |
とだけ、薄墨で書いてあるようである。「筆跡がもう少し立派だったら」と、宮は風流好みのお心から、少しもの足りないことと御覧になったことであろうよ。 |
楽玉など、えならぬさまにて、所々より多かり。思し沈みつる年ごろの名残なき御ありさまにて、心ゆるびたまふことも多かるに、「同じくは、人の疵つくばかりのことなくてもやみにしがな」と、いかが思さざらむ。 |
薬玉などを、実に趣向を凝らして、あちこちから多くあった。おつらい思いをして来た長年の苦労もすっかりなくなったお暮らしぶりで、お気持ちにゆとりのおできになることも多かったので、「同じことなら、あちらが傷つくようなことのないようにして終わりにしたいものだ」と、どうしてお思いにならないことがあろうか。 |