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第三章 光る源氏の物語 光る源氏の物語論    

3. 源氏、紫の上に物語について述べる         

 

本文

現代語訳

 紫の上も、姫君の御あつらへにことつけて、物語は捨てがたく思したり。『くまのの物語』の絵にてあるを、

 紫の上も、姫君のご注文にかこつけて、物語は捨てがたく思っていらっしゃった。『くまのの物語』の絵の箇所を、

 「いとよく描きたる絵かな」

 「とてもよく描いた絵だわ」

 とて御覧ず。小さき女君の、何心もなくて昼寝したまへるところを、昔のありさま思し出でて、女君は見たまふ。

 と御覧になる。小さい女君が、あどけなく昼寝をしていらっしゃる所を、昔の様子をご回想なさって、女君は御覧になる。

 「かかる童どちだに、いかにされたりけり。まろこそ、なほ例にしつべく、心のどけさは人に似ざりけれ」

 「このような子供どうしでさえ、なんとませたことなのでしょう。わたしなど、やはり語り草になるほど、気の長さは誰にも負けませんね」

 と聞こえ出でたまへり。げに、たぐひ多からぬことどもは、好み集めたまへりけりかし。

 と申し上げなさる。なるほど、世間に例の多くない恋愛を、数々なさってこられたことよ。

 「姫君の御前にて、この世馴れたる物語など、な読み聞かせたまひそ。みそか心つきたるものの娘などは、をかしとにはあらねど、かかること世にはありけりと、見馴れたまはむぞ、ゆゆしきや」

 「姫君の御前で、この色恋沙汰の物語など、読み聞かせなさいますな。秘め事をする物語の娘などは、おもしろいと思わぬまでも、このようなことが世間にはあるのものだと、当たり前のように思われるのが、困ったことなのですよ」

 とのたまふも、こよなしと、対の御方聞きたまはば、心置きたまひつべくなむ。

 とおっしゃるにつけても、格段に違うと、対の御方がお聞きになったら、きっとひがまれよう。

 上、

 紫の上は、

 「心浅げなる人まねどもは、見るにもかたはらいたくこそ。『宇津保』の藤原君の女こそ、いと重りかにはかばかしき人にて、過ちなかめれど、すくよかに言ひ出でたることもしわざも、女しきところなかめるぞ、一様なめる」

 「軽率な物語の人の物真似の類は、見ていてもたまりません。『宇津保物語』の藤原の君の娘は、とても思慮深くしっかりした人で、間違いはないようですが、そっけない返事もそぶりも、女性らしいところがないようなのが、同じようですね」

 とのたまへば、

 と、おっしゃると、

 「うつつの人も、さぞあるべかめる。人びとしく立てたる趣きことにて、よきほどにかまへぬや。よしなからぬ親の、心とどめて生ほしたてたる人の、子めかしきを生けるしるしにて、後れたること多かるは、何わざしてかしづきしぞと、親のしわざさへ思ひやらるるこそ、いとほしけれ。

 「実際の人も、そういうもののようです。一人前にそれぞれ主義主張を異にして、加減というものを知りません。悪くはない親が、気をつかって育てた娘が、無邪気さだけがただ一つのとりえで、劣ったところが多いのは、いったいどんなふうにして育ててきたのかと、親の育て方までが想像されるのは、気の毒です。

 げに、さいへど、その人のけはひよと見えたるは、かひあり、おもだたしかし。言葉の限りまばゆくほめおきたるに、し出でたるわざ、言ひ出でたることのなかに、げにと見え聞こゆることなき、いと見劣りするわざなり。

 なるほど、そうは言っても、身分にふさわしい感じがすると思えるのは、育てがいもあり、名誉なことです。口をきわめて気恥ずかしいほど誉めていたのに、しでかしたことや、口に出した言葉の中に、なるほどと見えたり聞こえたりすることがないのは、まことに見劣りがするものです。

 すべて、善からぬ人に、いかで人ほめさせじ」

 だいたい、つまらない人には、どうか娘を誉めさせたくないものです」

 など、ただ「この姫君の、点つかれたまふまじく」と、よろづに思しのたまふ。

 などと、ひたすら「この姫君が非難されないように」と、あれやこれやといろいろ考えておっしゃる。

 継母の腹ぎたなき昔物語も多かるを、このころ、「心見えに心づきなし」と思せば、いみじく選りつつなむ、書きととのへさせ、絵などにも描かせたまひける。

 継母の意地悪な昔物語も多いが、最近は、「心が見透かされ底意地悪い」と思われなさるので、厳しく選んでは選んでは、清書させたり、絵などにもお描かせなさるのだった。



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