第二章 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語
6. 女御の返事
本文 |
現代語訳 |
樋洗童しも、いと馴れてきよげなる、今参りなりけり。女御の御方の台盤所に寄りて、 |
樋洗童は、たいそうもの馴れた態度できれいな子で、新参者なのであった。女御の御方の台盤所に寄って、 |
「これ、参らせたまへ」 |
「これを差し上げてください」 |
と言ふ。下仕へ見知りて、 |
と言う。下仕えが顔を知っていて、 |
「北の対にさぶらふ童なりけり」 |
「北の対に仕えている童だわ」 |
とて、御文取り入る。大輔の君といふ、持て参りて、引き解きて御覧ぜさす。 |
と言って、お手紙を受け取る。大輔の君というのが、持参して、開いて御覧に入れる。 |
女御、ほほ笑みてうち置かせたまへるを、中納言の君といふ、近くゐて、そばそば見けり。 |
女御が、苦笑してお置きあそばしたのを、中納言の君という者が、お近くにいて、横目でちらちらと見た。 |
「いと今めかしき御文のけしきにもはべめるかな」 |
「たいそうしゃれたお手紙のようでございますね」 |
と、ゆかしげに思ひたれば、 |
と、見たそうにしているので、 |
「草の文字は、え見知らねばにやあらむ、本末なくも見ゆるかな」 |
「草仮名の文字は、読めないからかしら、歌の意味が続かないように見えます」 |
とて、賜へり。 |
とおっしゃって、お下しになった。 |
「返りこと、かくゆゑゆゑしく書かずは、悪ろしとや思ひおとされむ。やがて書きたまへ」 |
「お返事は、このように由緒ありげに書かなかったら、なっていないと軽蔑されましょう。そのままお書きなさい」 |
と、譲りたまふ。もて出でてこそあらね、若き人は、ものをかしくて、皆うち笑ひぬ。御返り乞へば、 |
と、お任せになる。そう露骨に現しはしないが、若い女房たちは、何ともおかしくて、皆笑った。お返事を催促するので、 |
「をかしきことの筋にのみまつはれてはべめれば、聞こえさせにくくこそ。宣旨書きめきては、いとほしからむ」 |
「風流な引歌ばかり使ってございますので、お返事が難しゅうございます。代筆めいては、お気の毒でしょう」 |
とて、ただ、御文めきて書く。 |
と言って、まるで、女御のご筆跡のように書く。 |
「近きしるしなき、おぼつかなさは、恨めしく、 |
「お近くにいらっしゃるのにその甲斐なく、お目にかかれないのは、恨めしく存じられまして、 |
常陸なる駿河の海の須磨の浦に 波立ち出でよ筥崎の松」 |
常陸にある駿河の海の須磨の浦に お出かけくだい、箱崎の松が待っています」 |
と書きて、読みきこゆれば、 |
と書いて、読んでお聞かせす申すと、 |
「あな、うたて。まことにみづからのにもこそ言ひなせ」 |
「まあ、困りますわ。ほんとうにわたしが書いたのだと言ったらどうしましょう」 |
と、かたはらいたげに思したれど、 |
と、迷惑そうに思っていらっしゃったが、 |
「それは聞かむ人わきまへはべりなむ」 |
「それは聞く人がお分かりでございましょう」 |
とて、おし包みて出だしつ。 |
と言って、紙に包んで使いにやった。 |
御方見て、 |
御方が見て、 |
「をかしの御口つきや。待つとのたまへるを」 |
「しゃれたお歌ですこと。待っているとおっしゃっているわ」 |
とて、いとあまえたる薫物の香を、返す返す薫きしめゐたまへり。紅といふもの、いと赤らかにかいつけて、髪けづりつくろひたまへる、さる方ににぎははしく、愛敬づきたり。御対面のほど、さし過ぐしたることもあらむかし。 |
と言って、たいそう甘ったるい薫物の香を、何度も何度も着物にた焚きしめていらっしゃった。紅というものを、たいそう赤く付けて、髪を梳いて化粧なさったのは、それなりに派手で愛嬌があった。ご対面の時、さぞ出過ぎたこともあったであろう。 |