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野分

第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語    

3. 夕霧、三条宮邸へ赴く     

 

本文

現代語訳

 人びと参りて、

 家司たちが参上して、

 「いといかめしう吹きぬべき風にはべり。艮の方より吹きはべれば、この御前はのどけきなり。馬場の御殿、南の釣殿などは、危ふげになむ」

 「たいそうひどい勢いになりそうでございます。丑寅の方角から吹いて来ますので、こちらのお庭先は静かなのです。馬場殿や南の釣殿などは危なそうです」

 とて、とかくこと行なひののしる。

 と申して、あれこれと作業に大わらわとなる。

 「中将は、いづこよりものしつるぞ」

 「中将は、どこから参ったのか」

 「三条の宮にはべりつるを、『風いたく吹きぬべし』と、人びとの申しつれば、おぼつかなさに参りはべりつる。かしこには、まして心細く、風の音をも、今はかへりて、若き子のやうに懼ぢたまふめれば。心苦しさに、まかではべりなむ」

 「三条宮におりましたが、『風が激しくなるだろう』と、人々が申しましたので、気がかりで参上いたしました。あちらでは、ここ以上に心細く、風の音も、今ではかえって幼い子供のように恐がっていらっしゃるようなので。おいたわしいので、失礼いたします」

 と申したまへば、

 とご挨拶申し上げなさると、

 「げに、はや、まうでたまひね。老いもていきて、また若うなること、世にあるまじきことなれど、げに、さのみこそあれ」

 「なるほど、早く、行って上げなさい。年をとるにつれて、再び子供のようになることは、まったく考えられないことだが、なるほど、老人はそうしたものだ」

 など、あはれがりきこえたまひて、

 などと、ご同情申し上げなさって、

 「かく騒がしげにはべめるを、この朝臣さぶらへばと、思ひたまへ譲りてなむ」

 「このように風が騒がしそうでございますが、この朝臣がお側におりましたらばと、存じまして代わらせました」

 と、御消息聞こえたまふ。

 と、お手紙をお託しになる。

 道すがらいりもみする風なれど、うるはしくものしたまふ君にて、三条宮と六条院とに参りて、御覧ぜられたまはぬ日なし。内裏の御物忌などに、えさらず籠もりたまふべき日より外は、いそがしき公事、節会などの、暇いるべく、ことしげきにあはせても、まづこの院に参り、宮よりぞ出でたまひければ、まして今日、かかる空のけしきにより、風のさきにあくがれありきたまふもあはれに見ゆ。

 道中、激しく吹き荒れる風だが、几帳面でいらっしゃる君なので、三条宮と六条院とに参上して、お目通りなさらない日はない。内裏の御物忌みなどで、どうしてもやむを得ず宿直しなければならない日以外は、忙しい公事や、節会などの、時間がかかり、用事が多い時に重なっても、真っ先にこの院に参上して、三条宮からご出仕なさったので、まして今日は、このような空模様によって、風より先に立ってあちこち動き回るのは、孝心深そうに見える。

 宮、いとうれしう、頼もしと待ち受けたまひて、

 大宮は、たいそう嬉しく頼もしくお待ち受けになって、

 「ここらの齢に、まだかく騒がしき野分にこそあはざりつれ」

 「この年になるまで、いまだこのように激しい野分には遭わなかった」

 と、ただわななきにわななきたまふ。

 と、ただ震えに震えてばかりいらっしゃる。

 「大きなる木の枝などの折るる音も、いとうたてあり。御殿の瓦さへ残るまじく吹き散らすに、かくてものしたまへること」

 「大きな木の枝などが折れる音も、たいそう気味が悪い。御殿の瓦まで残らず吹き飛ばすので、よくぞおいで下さいましたこと」

 と、かつはのたまふ。そこら所狭かりし御勢ひのしづまりて、この君を頼もし人に思したる、常なき世なり。今もおほかたのおぼえの薄らぎたまふことはなけれど、内の大殿の御けはひは、なかなかすこし疎くぞありける。

 と、脅えながらも挨拶なさる。あれほど盛んだったご威勢も今はひっそりとして、この君一人を頼りに思っていらっしゃるのは、無常な世の中である。今でも世間一般のご声望が衰えていらっしゃることはないけれども、内の大殿のご態度は、親子であるのにかえって疎遠のようであったのだ。

 中将、夜もすがら荒き風の音にも、すずろにものあはれなり。心にかけて恋しと思ふ人の御ことは、さしおかれて、ありつる御面影の忘られぬを、

 中将は、一晩中激しい風の音の中でも、何となくせつなく悲しい気持ちがする。心にかけて恋しいと思っていた人のことは、ついさしおかれて、先程の御面影が忘れられないのを

 「こは、いかにおぼゆる心ぞ。あるまじき思ひもこそ添へ。いと恐ろしきこと」

 「これは、どうしたことだろう。だいそれた料簡を持ったら大変だ。とても恐ろしいことだ」

 と、みづから思ひ紛らはし、異事に思ひ移れど、なほ、ふとおぼえつつ、

 と、自分自身で気を紛らわして、他の事に考えを移したが、やはり、思わず御面影がちらついては、

 「来し方行く末、ありがたくもものしたまひけるかな。かかる御仲らひに、いかで東の御方、さるものの数にて立ち並びたまひつらむ。たとしへなかりけりや。あな、いとほし」

 「過去にも将来にも、めったにいない素晴らしい方でいらっしゃったなあ。このような素晴らしいご夫婦仲に、どうして東の御方が、夫人の一人として肩を並べなさったのだろうか。比べようもないことだな。ああ、お気の毒な」

 とおぼゆ。大臣の御心ばへを、ありがたしと思ひ知りたまふ。

 とつい思わずにはいられない。大臣のお気持ちをご立派だとお分かりになる。

 人柄のいとまめやかなれば、似げなさを思ひ寄らねど、「さやうならむ人をこそ、同じくは、見て明かし暮らさめ。限りあらむ命のほども、今すこしはかならず延びなむかし」と思ひ続けらる。

 人柄がたいそう誠実なので、不相応なことを考えはしないが、「あのような美しい方とこそ、同じ結婚をするなら、妻にして暮らしたいものだ。限りのある寿命も、きっともう少しは延びるだろう」と、自然と思い続けられる。



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