第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係
4. 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す
本文 |
現代語訳 |
かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、 |
このような機会にとでも思ったのであろうか、蘭の花のたいそう美しいのを持っていらっしゃったが、御簾の端から差し入れて、 |
「これも御覧ずべきゆゑはありけり」 |
「この花も御覧になるわけのあるものです」 |
とて、とみにも許さで持たまへれば、うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。 |
と言って、すぐには手放さないで持っていらっしゃったので、全然気づかないで、お取りになろうとするお袖を引いた。 |
「同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよかことばかりも」 |
「あなたと同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です やさしい言葉をかけて下さい、ほんの申し訳にでも」 |
「道の果てなる」とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、 |
「道の果てにある」というのかと思うと、とても疎ましく嫌な気になったが、素知らない様子に、そっと奥へ引き下がって、 |
「尋ぬるにはるけき野辺の露ならば 薄紫やかことならまし かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」 |
「尋ねてみて遥かに遠い野辺の露だったならば 薄紫のご縁とは言いがかりでしょう このようにして申し上げる以上に、深い因縁はございましょうか」 |
とのたまへば、すこしうち笑ひて、 |
とおっしゃるので、少しにっこりして、 |
「浅きも深きも、思し分く方ははべりなむと思ひたまふる。まめやかには、いとかたじけなき筋を思ひ知りながら、えしづめはべらぬ心のうちを、いかでかしろしめさるべき。なかなか思し疎まむがわびしさに、いみじく籠めはべるを、今はた同じと、思ひたまへわびてなむ。 |
「浅くも深くも、きっとお分かりになることでございましょうと存じます。実際は、まことに恐れ多い宮仕えのことを存じながら、抑えきれません思いのほどを、どのようにしてお分りになっていただけましょうか。かえってお疎みになろうことがつらいので、ひどく堪えておりましたのが、今はもう同じこと、ぜひともと思い余って申し上げたのです。 |
頭中将のけしきは御覧じ知りきや。人の上に、なんど思ひはべりけむ。身にてこそ、いとをこがましく、かつは思ひたまへ知られけれ。なかなか、かの君は思ひさまして、つひに、御あたり離るまじき頼みに、思ひ慰めたるけしきなど見はべるも、いとうらやましくねたきに、あはれとだに思しおけよ」 |
頭中将の気持ちはご存知でしたか。他人事のように、どうして思ったのでございましょう。自分の身になってみて、たいそう愚かなことだと、その一方でよく分りました。かえってあの君は落ち着いていて、結局、ご姉弟の縁の切れないことをあてにして、思い慰めている様子などを拝見致しますのも、たいそう羨ましく憎らしいので、せめてかわいそうだとでもお心に留めてやってください」 |
など、こまかに聞こえ知らせたまふこと多かれど、かたはらいたければ書かぬなり。 |
などと、こまごまと申し上げなさることが多かったが、どうかと思われるので書かないのである。 |
尚侍の君、やうやう引き入りつつ、むつかしと思したれば、 |
尚侍の君は、だんだんと奥に引っ込みながら、厄介なことだとお思いでいたので、 |
「心憂き御けしきかな。過ちすまじき心のほどは、おのづから御覧じ知らるるやうもはべらむものを」 |
「冷たいそぶりをなさいますね。間違い事は決して致さない性格であることは、自然とご存知でありましょうに」 |
とて、かかるついでに、今すこし漏らさまほしけれど、 |
と言って、このような機会に、もう少し打ち明けたいのだが、 |
「あやしくなやましくなむ」 |
「妙に気分が悪くなりまして」 |
とて、入り果てたまひぬれば、いといたくうち嘆きて立ちたまひぬ。 |
と言って、すっかり入っておしまいになったので、とてもひどくお嘆きになってお立ちになった。 |