第四章 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ
9. 三月、源氏、玉鬘を思う
本文 |
現代語訳 |
三月になりて、六条殿の御前の、藤、山吹のおもしろき夕ばえを見たまふにつけても、まづ見るかひありてゐたまへりし御さまのみ思し出でらるれば、春の御前をうち捨てて、こなたに渡りて御覧ず。 |
三月になって、六条殿の御前の、藤、山吹が美しい夕映えを御覧になるにつけても、まっさきに見る目にも美しい姿でお座りになっていらしたご様子ばかりが思い出さずにはいらっしゃれないので、春の御前を放って、こちらの殿に渡って御覧になる。 |
呉竹の籬に、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いとおもしろし。 |
呉竹の籬に、自然と咲きかかっている色艶が、たいそう美しい。 |
「色に衣を」 |
「色に衣を」 |
などのたまひて、 |
などとおっしゃって、 |
「思はずに井手の中道隔つとも 言はでぞ恋ふる山吹の花 顔に見えつつ」 |
「思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが 心の中では恋い慕っている山吹の花よ 面影に見え見えして」 |
などのたまふも、聞く人なし。かく、さすがにもて離れたることは、このたびぞ思しける。げに、あやしき御心のすさびなりや。 |
などとおっしゃっても、聞く人もいない。このように、さすがに諦めていることは、今になってお分かりになるのであった。なるほど、妙なおたわむれの心であるよ。 |
かりの子のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならずたてまつれたまふ。御文は、「あまり人もぞ目立つる」など思して、すくよかに、 |
鴨の卵がたいそうたくさんあるのを御覧になって、柑子や、橘などのように見せて、何気ないふうに差し上げなさる。お手紙は、「あまり人目に立っては」などとお思いになって、そっけなく、 |
「おぼつかなき月日も重なりぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨みきこゆるも、御心ひとつにのみはあるまじう聞きはべれば、ことなるついでならでは、対面の難からむを、口惜しう思ひたまふる」 |
「お目にかからない月日がたちましたが、思いがけないおあしらいだとお恨み申し上げるのも、あなたお一人のお考えからではなく聞いておりますので、特別の場合でなくては、お目にかかることの難しいことを、残念に存じております」 |
など、親めき書きたまひて、 |
などと、親めいてお書きになって、 |
「同じ巣にかへりしかひの見えぬかな いかなる人か手ににぎるらむ |
「せっかくわたしの所でかえった雛が見えませんね どんな人が手に握っているのでしょう |
などか、さしもなど、心やましうなむ」 |
どうして、こんなにまでもなどと、おもしろくなくて」 |
などあるを、大将も見たまひて、うち笑ひて、 |
などとあるのを、大将も御覧になって、ふと笑って、 |
「女は、まことの親の御あたりにも、たはやすくうち渡り見えたてまつりたまはむこと、ついでなくてあるべきことにあらず。まして、なぞ、この大臣の、をりをり思ひ放たず、恨み言はしたまふ」 |
「女性は、実の親の所にも、簡単に行ってお会いなさることは、適当な機会がなくてはなさるべきではない。まして、どうして、この大臣は、度々諦めずに、恨み言をおっしゃるのだろう」 |
と、つぶやくも、憎しと聞きたまふ。 |
と、ぶつぶつ言うのも、憎らしいとお聞きになる。 |
「御返り、ここにはえ聞こえじ」 |
「お返事は、わたしは差し上げられません」 |
と、書きにくくおぼいたれば、 |
と、書きにくくお思いになっているので、 |
「まろ聞こえむ」 |
「わたしがお書き申そう」 |
と代はるも、かたはらいたしや。 |
と代わるのも、はらはらする思いである。 |
「巣隠れて数にもあらぬかりの子を いづ方にかは取り隠すべき |
「巣の片隅に隠れて子供の数にも入らない雁の子を どちらの方に取り隠そうとおっしゃるのでしょうか |
よろしからぬ御けしきにおどろきて。すきずきしや」 |
不機嫌なご様子にびっくりしまして。懸想文めいていましょうか」 |
と聞こえたまへり。 |
とお返事申し上げた。 |
「この大将の、かかるはかなしごと言ひたるも、まだこそ聞かざりつれ。めづらしう」 |
「この大将が、このような風流ぶった歌を詠んだのも、まだ聞いたことがなかった。珍しくて」 |
とて、笑ひたまふ。心のうちには、かく領じたるを、いとからしと思す。 |
と言って、お笑いになる。心中では、このように一人占めにしているのを、とても憎いとお思いになる。 |