TOP  総目次  源氏物語目次   前へ 次へ
梅枝

第二章 光る源氏の物語 明石の姫君の裳着    

3. 源氏の仮名論議     

 

本文

現代語訳

 「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ、今の世はいと際なくなりたる。古き跡は、定まれるやうにはあれど、広き心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける。

 「すべての事が、昔に比べて劣って、浅くなって行く末世だが、仮名だけは、現代は際限もなく発達したものだ。昔の字は、筆跡が定まっているようではあるが、ゆったりした感じがあまりなくて、一様に似通った書法であった。

 妙にをかしきことは、外よりてこそ書き出づる人びとありけれど、女手を心に入れて習ひし盛りに、こともなき手本多く集へたりしなかに、中宮の母御息所の、心にも入れず走り書いたまへりし一行ばかり、わざとならぬを得て、際ことにおぼえしはや。

 見事で上手なものは、近頃になって書ける人が出て来たが、平仮名を熱心に習っていた最中に、特に難点のない手本を数多く集めていた中で、中宮の母御息所が何気なくさらさらとお書きになった一行ほどの、無造作な筆跡を手に入れて、格段に優れていると感じたものです。

 さて、あるまじき御名も立てきこえしぞかし。悔しきことに思ひしみたまへりしかど、さしもあらざりけり。宮にかく後見仕うまつることを、心深うおはせしかば、亡き御影にも見直したまふらむ。

 そういうことで、とんでもない浮名までもお流し申してしまったことよ。残念なことと思い込んでいらっしゃったが、それほど薄情ではなかったのだ。中宮にこのように御後見申し上げていることを、思慮深くいらっしゃったので、亡くなった後にも見直して下さることだろう。

 宮の御手は、こまかにをかしげなれど、かどや後れたらむ」

 中宮の御筆跡は、こまやかで趣はあるが、才気は少ないようだ」

 と、うちささめきて聞こえたまふ。

 と、ひそひそと申し上げなさる。

 「故入道宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、弱きところありて、にほひぞすくなかりし。

 「故入道宮の御筆跡は、たいそう深味もあり優美な手の筋はおありだったが、なよなよした点があって、はなやかさが少なかった。

 院の尚侍こそ、今の世の上手におはすれど、あまりそぼれて癖ぞ添ひためる。さはありとも、かの君と、前斎院と、ここにとこそは、書きたまはめ」

 朱雀院の尚侍は、当代の名人でいらっしゃるが、あまりにしゃれすぎて欠点があるよだ。そうは言っても、あの尚侍君と、前斎院と、あなたは、上手な方だと思う」

 と、聴しきこえたまへば、

 と、お認め申し上げなさるので、

 「この数には、まばゆくや」

 「この方々に仲間入りするのは、恥ずかしいですわ」

 と聞こえたまへば、

 と申し上げなさると、

 「いたうな過ぐしたまひそ。にこやかなる方のなつかしさは、ことなるものを。真名のすすみたるほどに、仮名はしどけなき文字こそ混じるめれ」

 「ひどく謙遜なさってはいけません。柔和という点の好ましさは、格別なものですよ。漢字が上手になってくると、仮名は整わない文字が交るようですがね」

 とて、まだ書かぬ草子ども作り加へて、表紙、紐などいみじうせさせたまふ。

 とおっしゃって、まだ書写してない冊子類を作り加えて、表紙や、紐など、たいへん立派にお作らせになる。

 「兵部卿宮、左衛門督などにものせむ。みづから一具は書くべし。けしきばみいますがりとも、え書き並べじや」

 「兵部卿宮、左衛門督などに書いてもらおう。わたし自身も二帖は書こう。いくら自信がおありでも、並ばないことはあるまい」

 と、われぼめをしたまふ。

 と、自賛なさる。



TOP  総目次  源氏物語目次 ページトップへ  前へ 次へ