第一章 夕霧の物語 雲居雁との筒井筒の恋実る
5. 藤花の宴 結婚を許される
本文 |
現代語訳 |
月はさし出でぬれど、花の色さだかにも見えぬほどなるを、もてあそぶに心を寄せて、大酒参り、御遊びなどしたまふ。大臣、ほどなく空酔ひをしたまひて、乱りがはしく強ひ酔はしたまふを、さる心して、いたうすまひ悩めり。 |
月は昇ったが、花の色がはっきりと見えない時分なのだが、花を愛でる心に寄せて、御酒を召して、管弦のお遊びなどをなさる。大臣、程もなく空酔いをなさって、遠慮もせずに無理に酔わせなさるが、用心して、とても断るのに困っているようである。 |
「君は、末の世にはあまるまで、天の下の有職にものしたまふめるを、齢古りぬる人、思ひ捨てたまふなむつらかりける。文籍にも、家礼といふことあるべくや。なにがしの教へも、よく思し知るらむと思ひたまふるを、いたう心悩ましたまふと、恨みきこゆべくなむ」 |
「あなたは、この末世にできすぎるほどの、天下の有識者でいらっしゃるようだが、年を取った者を、お忘れになっていらっしゃるのが辛いことだ。古典にも、家礼ということがあるではありませんか。誰それの教えにも、よくご存知でいらっしゃろうと存じますが、ひどく辛い思いをおさせになると、お恨み申し上げたいのです」 |
などのたまひて、酔ひ泣きにや、をかしきほどにけしきばみたまふ。 |
などとおっしゃって、酔い泣きというのか、ほどよく抑えて意中をほのめかしなさる。 |
「いかでか。昔を思うたまへ出づる御変はりどもには、身を捨つるさまにもとこそ、思うたまへ知りはべるを、いかに御覧じなすことにかはべらむ。もとより、おろかなる心のおこたりにこそ」 |
「どうしてそのような。今は亡き方々を思い出しますお身変わりとして、わが身を捨ててまでもと、存じておりますのに、どのように御覧になってのことでございましょうか。もともと、わたしのうかつな心の至らなさのためです」 |
と、かしこまりきこえたまふ。御時よく、さうどきて、 |
と、恐縮して申し上げなさる。頃合いを見計らって、はやし立てて、 |
「藤の裏葉の」 |
「藤の裏葉の」 |
とうち誦じたまへる、御けしきを賜はりて、頭中将、花の色濃く、ことに房長きを折りて、客人の御盃に加ふ。取りて、もて悩むに、大臣、 |
とお謡いになった、そのお心をお受けになって、頭中将、藤の花の色濃く、特に花房の長いのを折って、客人のお杯に添えになる。受け取って、もてあましていると、内大臣、 |
「紫にかことはかけむ藤の花 まつより過ぎてうれたけれども」 |
「紫色のせいにしましょう、藤の花の 待ち過ぎてしまって恨めしいことだが」 |
宰相、盃を持ちながら、けしきばかり拝したてまつりたまへるさま、いとよしあり。 |
宰相中将、杯を持ちながら、ほんの形ばかり拝舞なさる様子、実に優雅である。 |
「いく返り露けき春を過ぐし来て 花の紐解く折にあふらむ」 |
「幾度も湿っぽい春を過ごして来ましたが 今日初めて花の開くお許しを得ることができました」 |
頭中将に賜へば、 |
頭中将にお廻しになると、 |
「たをやめの袖にまがへる藤の花 見る人からや色もまさらむ」 |
「うら若い女性の袖に見違える藤の花は 見る人の立派なためかいっそう美しさを増すことでしょう」 |
次々順流るめれど、酔ひの紛れにはかばかしからで、これよりまさらず。 |
次々と杯が回り歌を詠み添えて行ったようであるが、酔いの乱れに大したこともなく、これより優れていない。 |