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藤裏葉

第一章 夕霧の物語 雲居雁との筒井筒の恋実る    

6. 夕霧、雲居雁の部屋を訪う     

 

本文

現代語訳

 七日の夕月夜、影ほのかなるに、池の鏡のどかに澄みわたれり。げに、まだほのかなる梢どもの、さうざうしきころなるに、いたうけしきばみ横たはれる松の、木高きほどにはあらぬに、かかれる花のさま、世の常ならずおもしろし。

 七日の夕月夜、月の光は微かであるのに、池の水が鏡のように静かに澄み渡っている。なるほど、まだ茂らない梢が、物足りないころなので、たいそう気取って横たわっている松の、木高くないのに、咲き掛かっている藤の花の様子、世になく美しい。

 例の、弁少将、声いとなつかしくて、「葦垣」を謡ふ。大臣、

 例によって、弁少将が、声をたいそう優しく「葦垣」を謡う。大臣、

 「いとけやけうも仕うまつるかな」

 「実に妙な歌を謡うものだな」

 と、うち乱れたまひて、

 と、冗談をおっしゃって、

「年経にけるこの家の」

 「年を経たこの家の」

 と、うち加へたまへる御声、いとおもしろし。をかしきほどに乱りがはしき御遊びにて、もの思ひ残らずなりぬめり。

 と、お添えになるお声、誠に素晴らしい。興趣ある中に冗談も混じった管弦のお遊びで、気持ちのこだわりもすっかり解けてしまったようである。

 やうやう夜更け行くほどに、いたうそら悩みして、

 だんだんと夜が更けて行くにつれて、ひどく苦しげな様子をして見せて、

 「乱り心地いと堪へがたうて、まかでむ空もほとほとしうこそはべりぬべけれ。宿直所譲りたまひてむや」

 「酔いが回ってひどく辛いので、帰り道も危なそうです。泊まる部屋を貸していただけませんか」

 と、中将に愁へたまふ。大臣、

 と、頭中将に訴えなさる。大臣が、

 「朝臣や、御休み所求めよ。翁いたう酔ひ進みて無礼なれば、まかり入りぬ」

 「朝臣よ、お休み所になる部屋を用意しなさい。老人はひどく酔いが回って失礼だから、引っ込むよ」

 と言ひ捨てて、入りたまひぬ。

 と言い捨てて、お入りになってしまった。

 中将、

 頭中将が、

 「花の蔭の旅寝よ。いかにぞや、苦しきしるべにぞはべるや」

 「花の下の旅寝ですね。どういうものだろう、辛い案内役ですね」

 と言へば、

 と言うと、

 「松に契れるは、あだなる花かは。ゆゆしや」

 「松と約束したのは、浮気な花なものですか。縁起でもない」

 と責めたまふ。中将は、心のうちに、「ねたのわざや」と思ふところあれど、人ざまの思ふさまにめでたきに、「かうもあり果てなむ」と、心寄せわたることなれば、うしろやすく導きつ。

 と反発なさる。中将は、心中に、「憎らしいな」と思うところがあるが、人柄が理想通り立派なので、「最後はこのようになって欲しい」と、願って来たことなので、心許して案内した。

 男君は、夢かとおぼえたまふにも、わが身いとどいつかしうぞおぼえたまひけむかし。女は、いと恥づかしと思ひしみてものしたまふも、ねびまされる御ありさま、いとど飽かぬところなくめやすし。

 男君は、夢かと思われなさるにつけても、自分の身がますます立派に思われなさったことであろう。女は、とても恥ずかしいと思い込んでいらっしゃるが、大人になったご様子は、ますます不足なところもなく素晴らしい。

 「世の例にもなりぬべかりつる身を、心もてこそ、かうまでも思し許さるめれ。あはれを知りたまはぬも、さま異なるわざかな」

 「世間の話の種となってしまいそうな身の上を、その誠実さをもって、このようにお許しになったのでしょう。わたしの気持ちをお分りになって下さらないとは、変なことですね」

 と、怨みきこえたまふ。

 と、お恨み申し上げなさる。

 「少将の進み出だしつる『葦垣』の趣きは、耳とどめたまひつや。いたき主かなな。『河口の』とこそ、さしいらへまほしかりつれ」

 「少将が進んで謡い出した『葦垣』の心は、お分りでしたか。ひどい人ですね。『河口の』と、言い返したかったなあ」

 とのたまへば、女、いと聞き苦し、と思して、

 とおっしゃると、女は、とても聞き苦しい、とお思いになって、

 「浅き名を言ひ流しける河口は

   いかが漏らしし関の荒垣

  あさまし」

 「軽々しい浮名を流したあなたの口は

   どうしてお漏らしになったのですか

  あきれました」

 とのたまふさま、いとこめきたり。すこしうち笑ひて、

 とおっしゃる様子は、実におっとりしている。少し微笑んで、

 「漏りにける岫田の関を河口の

   浅きにのみはおほせざらなむ

 「浮名が漏れたのはあなたの父大臣のせいでもありますのに

   わたしのせいばかりになさらないで下さい

 年月の積もりも、いとわりなくて悩ましきに、ものおぼえず」

 長い歳月の思いも、本当に切なくて苦しいので、何も分りません」

 と、酔ひにかこちて、苦しげにもてなして、明くるも知らず顔なり。人びと、聞こえわづらふを、大臣、

 と、酔いのせいにして、苦しそうに振る舞って、夜の明けて行くのも知らないふうである。女房たちが、起こしかねているのを、大臣が、

 「したり顔なる朝寝かな」

 「得意顔した朝寝だな」

 と、とがめたまふ。されど、明かし果てでぞ出でたまふ。ねくたれの御朝顔、見るかひありかし。

 と、文句をおっしゃる。けれども、すっかり夜が明け果てないうちにお帰りになる。その寝乱れ髪の朝のお顔は、見がいのあったことだ。



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