第七章 柏木の物語 女三の宮密通の物語
6. 柏木、猫の夢を見る
本文 |
現代語訳 |
よその思ひやりはいつくしく、もの馴れて見えたてまつらむも恥づかしく推し量られたまふに、「ただかばかり思ひつめたる片端聞こえ知らせて、なかなかかけかけしきことはなくて止みなむ」と思ひしかど、いとさばかり気高う恥づかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、あてにいみじくおぼゆることぞ、人に似させたまはざりける。 |
はたから想像すると威厳があって、馴れ馴れしくお逢い申し上げるのもこちらが気が引けるように思われるようなお方なので、「ただこのように思い詰めているほんの一部を申し上げて、なまじ色めいた振る舞いはしないでおこう」と思っていたが、実際それほど気品高く恥ずかしくなるような様子ではなくて、やさしくかわいらしくて、どこまでももの柔らかな感じにお見えになるご様子で、上品で素晴らしく思えることは、誰とも違う感じでいらっしゃるのであった。 |
賢しく思ひ鎮むる心も失せて、「いづちもいづちも率て隠したてまつりて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや」とまで思ひ乱れぬ。 |
賢明に自制していた分別も消えて、「どこへなりとも連れて行ってお隠し申して、自分もこの世を捨てて、姿を隠してしまいたい」とまで思い乱れた。 |
ただいささかまどろむともなき夢に、この手馴らしし猫の、いとらうたげにうち鳴きて来たるを、この宮に奉らむとて、わが率て来たるとおぼしきを、何しに奉りつらむと思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむ、と思ふ。 |
ただちょっとまどろんだとも思われない夢の中に、あの手なずけた猫がとてもかわいらしく鳴いてやって来たのを、この宮にお返し申し上げようとして、自分が連れて来たように思われたが、どうしてお返し申し上げようとしたのだろうと思っているうちに、目が覚めて、どうしてあんな夢を見たのだろう、と思う。 |
宮は、いとあさましく、うつつともおぼえたまはぬに、胸ふたがりて、思しおぼほるるを、 |
宮は、あまりにも意外なことで、現実のことともお思いになれないので、胸がふさがる思いで、途方に暮れていらっしゃるのを、 |
「なほ、かく逃れぬ御宿世の、浅からざりけると思ほしなせ。みづからの心ながらも、うつし心にはあらずなむ、おぼえはべる」 |
「やはり、このように逃れられないご宿縁が、浅くなかったのだとお思い下さい。自分ながらも、分別心をなくしたように、思われます」 |
かのおぼえなかりし御簾のつまを、猫の綱引きたりし夕べのことも聞こえ出でたり。 |
あの身に覚えのなかった御簾の端を、猫の綱が引いた夕方のこともお話し申し上げた。 |
「げに、さはたありけむよ」 |
「なるほど、そうであったことなのか」 |
と、口惜しく、契り心憂き御身なりけり。「院にも、今はいかでかは見えたてまつらむ」と、悲しく心細くて、いと幼げに泣きたまふを、いとかたじけなく、あはれと見たてまつりて、人の御涙をさへ拭ふ袖は、いとど露けさのみまさる。 |
と、残念に、前世からの宿縁が辛い御身の上なのであった。「院にも、今はどうしてお目にかかることができようか」と、悲しく心細くて、まるで子供のようにお泣きになるのを、まことに恐れ多く、いとしく拝見して、相手のお涙までを拭う袖は、ますます露けさがまさるばかりである。 |