第十章 光る源氏の物語 密通露見後
1. 紫の上、女三の宮を気づかう
本文 |
現代語訳 |
つれなしづくりたまへど、もの思し乱るるさまのしるければ、女君、消え残りたるいとほしみに渡りたまひて、「人やりならず、心苦しう思ひやりきこえたまふにや」と思して、 |
平静を装っていらっしゃるが、ご煩悶の様子がはっきりと見えるので、女君は、生き返ったのをいじらしそうに思ってこちらにお帰りになって、「ご自身どうにもならず、宮をお気の毒に思っていらっしゃるのだろうか」とお思いになって、 |
「心地はよろしくなりにてはべるを、かの宮の悩ましげにおはすらむに、とく渡りたまひにしこそ、いとほしけれ」 |
「気分は良ろしくなっておりますが、あちらの宮がお悪くいらっしゃいましょうに、早くお帰りになったのが、お気の毒です」 |
と聞こえたまへば、 |
とお申し上げなさるので、 |
「さかし。例ならず見えたまひしかど、異なる心地にもおはせねば、おのづから心のどかに思ひてなむ。内裏よりは、たびたび御使ありけり。今日も御文ありつとか。院の、いとやむごとなく聞こえつけたまへれば、上もかく思したるなるべし。すこしおろかになどもあらむは、こなたかなた思さむことの、いとほしきぞや」 |
「そうですね。普通のお身体ではないようにお見えになりましたが、別段のご病気というわけでもいらっしゃらないので、何となく安心に思っていましてね。宮中からは、何度もお使いがありました。今日もお手紙があったとか。院が、特別大切になさるようにとお頼み申し上げていらっしゃるので、主上もそのようにお考えなのでしょう。少しでも宮を疎かになどあるようであれば、お二方がどうお思いになるかが、心苦しいことです」 |
とて、うめきたまへば、 |
と言って、嘆息なさると、 |
「内裏の聞こし召さむよりも、みづから恨めしと思ひきこえたまはむこそ、心苦しからめ。我は思し咎めずとも、よからぬさまに聞こえなす人びと、かならずあらむと思へば、いと苦しくなむ」 |
「帝がお耳にあそばすことよりも、宮ご自身が恨めしいとお思い申し上げなさることのほうが、お気の毒でしょう。ご自分ではお気になさらなくても、良からぬように蔭口を申し上げる女房たちが、きっといるでしょうと思うと、とてもつろう存じます」 |
などのたまへば、 |
などとおっしゃるので、 |
「げに、あながちに思ふ人のためには、わづらはしきよすがなけれど、よろづにたどり深きこと、とやかくやと、おほよそ人の思はむ心さへ思ひめぐらさるるを、これはただ、国王の御心やおきたまはむとばかりを憚らむは、浅き心地ぞしける」 |
「なるほど、おっしゃるとおり、ひたすら愛しく思っているあなたには、厄介な縁者はいないが、いろいろと思慮を廻らすことといったら、あれやこれやと、一般の人が思うような事まで考えを廻らされますが、わたしのただ、国王が御機嫌を損ねないかという事だけを気にしているのは、考えの浅いことだな」 |
と、ほほ笑みてのたまひ紛らはす。渡りたまはむことは、 |
と、苦笑して言い紛らわしなさる。お帰りになることは、 |
「もろともに帰りてを。心のどかにあらむ」 |
「一緒に帰ってよ。ゆっくりと過すことにしよう」 |
とのみ聞こえたまふを、 |
とだけ申し上げなさるのを、 |
「ここには、しばし心やすくてはべらむ。まづ渡りたまひて、人の御心も慰みなむほどにを」 |
「ここでもう暫くゆっくりしていましょう。先にお帰りになって、宮のご気分もよくなったころに」 |
と、聞こえ交はしたまふほどに、日ごろ経ぬ。 |
と、話し合っていらっしゃるうちに、数日が過ぎた。 |