第九章 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見
8. 源氏、妻の密通を思う
本文 |
現代語訳 |
「さても、この人をばいかがもてなしきこゆべき。めづらしきさまの御心地も、かかることの紛れにてなりけり。いで、あな、心憂や。かく、人伝てならず憂きことを知るしる、ありしながら見たてまつらむよ」 |
「それにしても、この宮をどのようにお扱いしたら良いものだろうか。おめでたいことのご懐妊も、このようなことのせいだったのだ。ああ、何と、厭わしいことだ。このような、目の当たりに嫌な事を知りながら、今までどおりにお世話申し上げるのだろうか」 |
と、わが御心ながらも、え思ひ直すまじくおぼゆるを、 |
と、自分のお心ながらも、とても思い直すことはできないとお思いになるが、 |
「なほざりのすさびと、初めより心をとどめぬ人だに、また異ざまの心分くらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるるを、ましてこれは、さま異に、おほけなき人の心にもありけるかな。 |
「浮気の遊び事としても、初めから熱心でない女でさえ、また別の男に心を分けていると思うのは、気にくわなく疎んじられてしまうものなのに、ましてこの宮は、特別な方で、大それた男の考えであることよ。 |
帝の御妻をも過つたぐひ、昔もありけれど、それはまたいふ方異なり。宮仕へといひて、我も人も同じ君に馴れ仕うまつるほどに、おのづから、さるべき方につけても、心を交はしそめ、もののまぎれ多かりぬべきわざなり。 |
帝のお妃と過ちを生じる例は、昔もあったが、それはまた事情が違うのだ。宮仕えと言って、自分も相手も同じ主君に親しくお仕えするうちに、自然と、そのような方面で、好意を持ち合うようになって、みそか事も多くなるというものだ。 |
女御、更衣といへど、とある筋かかる方につけて、かたほなる人もあり、心ばせかならず重からぬうち混じりて、思はずなることもあれど、おぼろけの定かなる過ち見えぬほどは、さても交じらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。 |
女御、更衣と言っても、あれこれいろいろあって、どうかと思われる人もおり、嗜みが必ずしも深いとは言えない人も混じっていて、意外なことも起こるが、重大な確かな過ちと分からないうちは、そのままで宮仕えを続けて行くようなこともあるから、すぐには分からない過ちもきっとあることだろう。 |
かくばかり、またなきさまにもてなしきこえて、うちうちの心ざし引く方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかることは、さらにたぐひあらじ」 |
このように、又となく大事にお扱い申し上げて、内心愛情を寄せている人よりも、大切な恐れ多い方と思ってお世話しているような自分をさしおいて、このような事を起こすとは、まったく例がない」 |
と、爪弾きせられたまふ。 |
と、つい非難せずにはいらっしゃれない。 |
「帝と聞こゆれど、ただ素直に、公ざまの心ばへばかりにて、宮仕へのほどもものすさまじきに、心ざし深き私のねぎ言になびき、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折のいらへをも言ひそめ、自然に心通ひそむらむ仲らひは、同じけしからぬ筋なれど、寄る方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心分けたまふべくはおぼえぬものを」 |
「帝とは申し上げても、ただ素直に、お仕えするだけでは面白くもないので、深い私的な思いを訴えかける言葉に引かれて、お互いに愛情を傾け尽くし、放って置けない折節の返事をするようになり、自然と心が通い合うようになった間柄は、同様に良くない事柄だが、まだ理由があろうか。自分自身の事ながら、あの程度の男に宮が心をお分けにならねばならないとは思われないのだが」 |
と、いと心づきなけれど、また「けしきに出だすべきことにもあらず」など、思し乱るるにつけて、 |
と、まことに不愉快ではあるが、また「顔色に出すべきことではない」などと、ご煩悶なさるにつけても、 |
「故院の上も、かく御心には知ろし召してや、知らず顔を作らせたまひけむ。思へば、その世のことこそは、いと恐ろしく、あるまじき過ちなりけれ」 |
「故院の上も、このように御心中には御存知でいらして、知らない顔をあそばしていられたのだろうか。それを思うと、その当時のことは、本当に恐ろしく、あってはならない過失であったのだ」 |
と、近き例を思すにぞ、恋の山路は、えもどくまじき御心まじりける。 |
と、身近な例をお思いになると、恋の山路は、非難できないというお気持ちもなさるのであった。 |