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柏木

第四章 光る源氏の物語 若君の五十日の祝い    

3. 源氏、老後の感懐  

 

本文

現代語訳

 御乳母たちは、やむごとなく、めやすき限りあまたさぶらふ。召し出でて、仕うまつるべき心おきてなどのたまふ。

 御乳母たちは、家柄が高く、見た目にも無難な人たちばかりが大勢伺候している。お呼び出しになって、お世話申すべき心得などをおっしゃる。

 「あはれ、残り少なき世に、生ひ出づべき人にこそ」

 「ああかわいそうに、残り少ない晩年に、ご成人して行くのだな」

 とて、抱き取りたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。大将などの稚児生ひ、ほのかに思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、父帝の御方ざまに、王気づきて気高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。

 と言って、お抱きになると、とても人見知りせずに笑って、まるまると太っていて色白でかわいらしい。大将などが幼い時の様子、かすかにお思い出しなさるのには似ていらっしゃらない。明石女御の宮たちは、それはそれで、父帝のお血筋を引いて、皇族らしく高貴ではいらっしゃるが、特別優れて美しいというわけでもいらっしゃらない。

 この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみの薫りて、笑がちなるなどを、いとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほ、いとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかに恥づかしきさまも、やう離れて、薫りをかしき顔ざまなり。

 この若君、とても上品な上に加えて、かわいらしく、目もとがほんのりとして、笑顔がちでいるのなどを、とてもかわいらしいと御覧になる。気のせいか、やはり、とてもよく似ていた。もう今から、まなざしが穏やかで人に優れた感じも、普通の人とは違って、匂い立つような美しいお顔である。

 宮はさしも思し分かず。人はた、さらに知らぬことなれば、ただ一所の御心の内にのみぞ、

 宮はそんなにもお分りにならず、女房たちもまた、全然知らないことなので、ただお一方のご心中だけが、

 「あはれ、はかなかりける人の契りかな」

 「ああ、はかない運命の人であったな」

 と見たまふに、大方の世の定めなさも思し続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌みすべき日をと、おし拭ひ隠したまふ。

 とお思いになると、世間一般の無常の世も思い続けられなさって、涙がほろほろとこぼれたのを、今日の祝いの日には禁物だと、拭ってお隠しになる。

 「静かに思ひて嗟くに堪へたり」

 「静かに思って嘆くことに堪へた」

 と、うち誦うじたまふ。五十八十取り捨てたる御齢なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。「汝が爺にとも、諌めまほしう思しけむかし。

 と、朗誦なさる。五十八から十とったお年齢だが、晩年になった心地がなさって、まことにしみじみとお感じになる。「おまえの父親に似るな」とでも、お諌めなさりたかったのであろうよ。



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