第五章 夕霧の物語 柏木哀惜
3. 夕霧、御息所と和歌を詠み交わす
本文 |
現代語訳 |
大将も、とみにえためらひたまはず。 |
大将も、すぐには涙をお止めになれない。 |
「あやしう、いとこよなくおよすけたまへりし人の、かかるべうてや、この二、三年のこなたなむ、いたうしめりて、もの心細げに見えたまひしかば、あまり世のことわりを思ひ知り、もの深うなりぬる人の、澄み過ぎて、かかる例、心うつくしからず、かへりては、あざやかなる方のおぼえ薄らぐものなりとなむ、常にはかばかしからぬ心に諌めきこえしかば、心浅しと思ひたまへりし。よろづよりも、人にまさりて、げに、かの思し嘆くらむ御心の内の、かたじけなけれど、いと心苦しうもはべるかな」 |
「どうしたわけか、実に申し分なく老成していらっしゃった方が、このようになる運命だったからでしょうか、ここ二、三年の間、ひどく沈み込んで、どことなく心細げにお見えになったので、あまりに世の無常を知り、考え深くなった人が、悟りすまし過ぎて、このような例で、心が素直でなくなり、かえって逆に、てきぱきしたところがないように人に思われるものだと、いつも至らない自分ながらお諌め申していたので、思慮が浅いとお思いのようでした。何事にもまして、人に優れて、おっしゃる通り、宮のお悲しみのご心中、恐れ多いことですが、まことにおいたわしゅうございます」 |
など、なつかしうこまやかに聞こえたまひて、ややほど経てぞ出でたまふ。 |
などと、優しく情愛こまやかに申し上げなさって、やや長居してお帰りになる。 |
かの君は、五、六年のほどのこのかみなりしかど、なほ、いと若やかに、なまめき、あいだれてものしたまひし。これは、いとすくよかに重々しく、男々しきけはひして、顔のみぞいと若うきよらなること、人にすぐれたまへる。若き人びとは、もの悲しさもすこし紛れて見出だしたてまつる。 |
あの方は、五、六歳くらい年上であったが、それでも、とても若々しく、優雅で、人なつっこいところがおありであった。この方は、実にきまじめで重々しく、男性的な感じがして、お顔だけがとても若々しく美しいことは、誰にも勝っていらっしゃった。若い女房たちは、もの悲しい気持ちも少し紛れてお見送り申し上げる。 |
御前近き桜のいとおもしろきを、「今年ばかりは」と、うちおぼゆるも、いまいましき筋なりければ、 |
御前に近い桜がたいそう美しく咲いているのを、「今年ばかりは」と、ふと思われるのも、縁起でもないことなので、 |
「あひ見むことは」 |
「再びお目にかかれるのは」 |
と口ずさびて、 |
と口ずさみなさって、 |
「時しあれば変はらぬ色に匂ひけり 片枝枯れにし宿の桜も」 |
「季節が廻って来たので変わらない色に咲きました 片方の枝は枯れてしまったこの桜の木にも」 |
わざとならず誦じなして立ちたまふに、いととう、 |
さりげないふうに口ずさんでお立ちになると、とても素早く、 |
「この春は柳の芽にぞ玉はぬく 咲き散る花の行方知らねば」 |
「この春は柳の芽に露の玉が貫いているように泣いています 咲いて散る桜の花の行く方も知りませんので」 |
と聞こえたまふ。いと深きよしにはあらねど、今めかしう、かどありとは言はれたまひし更衣なりけり。「げに、めやすきほどの用意なめり」と見たまふ。 |
と申し上げなさる。格別深い情趣があるわけではないが、当世風で、才能があると言われていらした更衣だったのである。「なるほど、無難なお心づかいのようだ」と御覧になる。 |