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柏木

第五章 夕霧の物語 柏木哀惜    

6. 夕霧、御息所と対話   

 

本文

現代語訳

 御息所ゐざり出でたまふけはひすれば、やをらゐ直りたまひぬ。

 御息所のいざり出でなさるご様子がするので、静かに居ずまいを正しなさった。

 「憂き世の中を、思ひたまへ沈む月日の積もるけぢめにや、乱り心地も、あやしうほれぼれしうて過ぐしはべるを、かくたびたび重ねさせたまふ御訪らひの、いとかたじけなきに、思ひたまへ起こしてなむ」

 「嫌な世の中を、悲しみに沈んで月日を重ねてきたせいでしょうか、気分の悪いのも、妙にぼうっとして過ごしておりますが、このように度々重ねてお見舞い下さるのが、まことにもったいので、元気を奮い起こしまして」

 とて、げに悩ましげなる御けはひなり。

 と言って、本当に苦しそうなご様子である。

 「思ほし嘆くは、世のことわりなれど、またいとさのみはいかが。よろづのこと、さるべきにこそはべめれ。さすがに限りある世になむ」

 「お嘆きになるのは、世間の道理ですが、またそんなに悲しんでばかりいられるのもいかがなものかと。何事も、前世からの約束事でございましょう。何といっても限りのある世の中です」

 と、慰めきこえたまふ。

 と、お慰め申し上げなさる。

 「この宮こそ、聞きしよりは心の奥見えたまへ、あはれ、げに、いかに人笑はれなることを取り添へて思すらむ」

 「この宮は、聞いていたよりも奥ゆかしいところがお見えになるが、お気の毒に、なるほど、どんなにか外聞の悪い事を加えてお嘆きになっていられることだろう」

 と思ふもただならねば、いたう心とどめて、御ありさまも問ひきこえたまひけり。

 と思うと心が動くので、たいそう心をこめて、ご様子をもお尋ね申し上げなさった。

 「容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど、いと見苦しうかたはらいたきほどにだにあらずは、などて、見る目により人をも思ひ飽き、また、さるまじきに心をも惑はすべきぞ。さま悪しや。ただ、心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」と思ほす。

 「器量などはとても十人並でいらっしゃるまいけれども、ひどくみっともなくて見ていられない程でなければ、どうして、見た目が悪いといって相手を嫌いになったり、また、大それたことに心を迷わすことがあってよいものか。みっともないことだ。ただ、気立てだけが、結局は、大切なのだ」とお考えになる。

 「今はなほ昔に思ほしなずらへて、疎からずもてなさせたまへ」

 「今はやはり故人と同様にお考え下さって、親しくお付き合い下さいませ」

 など、わざと懸想びてはあらねど、ねむごろにけしきばみて聞こえたまふ。直衣姿いとあざやかにて、丈だちものものしう、そぞろかにぞ見えたまひける。

 などと、特に色めいたおっしゃりようではないが、心を込めて気のある申し上げ方をなさる。直衣姿がとても鮮やかで、背丈も堂々と、すらりと高くお見えであった。

 「かの大殿は、よろづのことなつかしうなまめき、あてに愛敬づきたまへることの並びなきなり」

 「お亡くなりになった殿は、何事にもお優しく美しく、上品で魅力的なところがおありだったことは無類でした」

 「これは、男々しうはなやかに、あなきよらと、ふと見えたまふにほひぞ、人に似ぬや」

 「こちらは、男性的で派手で、何と美しいのだろうと、直ぐにお見えになる美しさは、ずば抜けています」

 と、うちささめきて、

 と、ささやいて、

 「同じうは、かやうにても出で入りたまはましかば」

 「同じことなら、このようにしてお出入りして下さったならば」

 など、人びと言ふめり。

 などと、女房たちは言っているようである。

 「右将軍が墓に草初めて青し」

 「右将軍の墓に草初めて青し」

 と、うち口ずさびて、それもいと近き世のことなれば、さまざまに近う遠う、心乱るやうなりし世の中に、高きも下れるも、惜しみあたらしがらぬはなきも、むべむべしき方をばさるものにて、あやしう情けを立てたる人にぞものしたまひければ、さしもあるまじき公人、女房などの年古めきたるどもさへ、恋ひ悲しびきこゆる。まして、上には、御遊びなどの折ごとにも、まづ思し出でてなむ、しのばせたまひける。

 と口ずさんで、それも最近の事だったので、あれこれと近頃も昔も、人の心を悲しませるような世の中の出来事に、身分の高い人も低い人も、惜しみ残念がらない者がないのも、もっともらしく格式ばった事柄はそれとして、不思議と人情の厚い方でいらっしゃったので、大したこともない役人、女房などの年取った者たちまでが、恋い悲しみ申し上げた。それ以上に、主上におかせられては、管弦の御遊などの折毎に、まっさきにお思い出しになって、お偲びあそばされた。

 「あはれ、衛門督」

 「ああ、衛門督よ」

 といふ言種、何ごとにつけても言はぬ人なし。六条院には、ましてあはれと思し出づること、月日に添へて多かり。

 と言う口癖を、何事につけても言わない人はいない。六条院におかれては、まして気の毒にとお思い出しになること、月日の経つにつれて多くなっていく。

 この若君を、御心一つには形見と見なしたまへど、人の思ひ寄らぬことなれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君は、ゐざりなど。

 この若君を、お心の中では形見と御覧になるが、誰も知らないことなので、まことに何の張り合いもない。秋頃になると、この若君は、這い這いをし出したりなどして。



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