第五章 夕霧の物語 柏木哀惜
5. 四月、夕霧の一条宮邸を訪問
本文 |
現代語訳 |
かの一条の宮にも、常に訪らひきこえたまふ。卯月ばかりの卯の花は、そこはかとなう心地よげに、一つ色なる四方の梢もをかしう見えわたるを、もの思ふ宿は、よろづのことにつけて静かに心細う、暮らしかねたまふに、例の渡りたまへり。 |
あの一条宮邸にも、常にお見舞い申し上げなさる。四月ごろの卯の花は、どこそことなく心地よく、一面新緑に覆われた四方の木々の梢が美しく見わたされるが、物思いに沈んでいる家は、何につけてもひっそりと心細く、暮らしかねていらっしゃるところに、いつものように、お越しになった。 |
庭もやうやう青み出づる若草見えわたり、ここかしこの砂子薄きものの隠れの方に、蓬も所得顔なり。前栽に心入れてつくろひたまひしも、心にまかせて茂りあひ、一村薄も頼もしげに広ごりて、虫の音添へむ秋思ひやらるるより、いとものあはれに露けくて、分け入りたまふ。 |
庭もだんだんと青い芽を出した若草が一面に見えて、あちらこちらの白砂の薄くなった物蔭の所に、雑草がわが物顔に茂っている。前栽を熱心に手入れなさっていたのも、かって放題に茂りあって、一むらの薄も思う存分に延び広がって、虫の音が加わる秋が想像されると、もうとても悲しく涙ぐまれて、草を分けてお入りになる。 |
伊予簾かけ渡して、鈍色の几帳の衣更へしたる透影、涼しげに見えて、よき童女の、こまやかに鈍ばめる汗衫のつま、頭つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし。 |
伊予簾を一面に掛けて、鈍色の几帳を衣更えした透き影が、涼しそうに見えて、けっこうな童女の、濃い鈍色の汗衫の端、頭の恰好などがちらっと見えているのも、趣があるが、やはりはっとさせられる色である。 |
今日は簀子にゐたまへば、茵さし出でたり。「いと軽らかなる御座なり」とて、例の、御息所おどろかしきこゆれど、このごろ、悩ましとて寄り臥したまへり。とかく聞こえ紛らはすほど、御前の木立ども、思ふことなげなるけしきを見たまふも、いとものあはれなり。 |
今日は簀子にお座りになったので、褥をさし出した。「まことに軽々しいお座席です」と言って、いつものように、御息所に応対をお促し申し上げるが、最近、気分が悪いといって物に寄り臥していらっしゃった。あれこれと座をお取り持ちする間、御前の木立が、何の悩みもなさそうに茂っている様子を御覧になるにつけても、とてもしみじみとした思いがする。 |
柏木と楓との、ものよりけに若やかなる色して、枝さし交はしたるを、 |
柏木と楓とが、他の木々よりも一段と若々しい色をして、枝をさし交わしているのを、 |
「いかなる契りにか、末逢へる頼もしさよ」 |
「どのような前世の縁でか、枝先が繋がっている頼もしさだ」 |
などのたまひて、忍びやかにさし寄りて、 |
などとおっしゃって、目立たないように近寄って、 |
「ことならば馴らしの枝にならさなむ 葉守の神の許しありきと |
「同じことならばこの連理の枝のように親しくして下さい 葉守の神の亡き方のお許があったのですからと |
御簾の外の隔てあるほどこそ、恨めしけれ」 |
御簾の外に隔てられているのは、恨めしい気がします」 |
とて、長押に寄りゐたまへり。 |
と言って、長押に寄りかかっていらっしゃった。 |
「なよび姿はた、いといたうたをやぎけるをや」 |
「くだけたお姿もまた、とてもたいそうしなやかでいらっしゃること」 |
と、これかれつきしろふ。この御あへしらひきこゆる少将の君といふ人して、 |
と、お互いにつつき合っている。お相手を申し上げる少将の君という人を使って、 |
「柏木に葉守の神はまさずとも 人ならすべき宿の梢か |
「柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても みだりに人を近づけてよい梢でしょうか |
うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひたまへなりぬる」 |
唐突なお言葉で、いい加減なお方と思えるようになりました」 |
と聞こゆれば、げにと思すに、すこしほほ笑みたまひぬ。 |
と申し上げたので、なるほどとお思いになると、少し苦笑なさった。 |