第三章 夕霧の物語 匂宮と薫
1. 夕霧、六条院を訪問
本文 |
現代語訳 |
大将の君も、夢思し出づるに、 |
大将の君も、夢を思い出しなさると、 |
「この笛のわづらはしくもあるかな。人の心とどめて思へりしものの、行くべき方にもあらず。女の御伝へはかひなきをや。いかが思ひつらむ。この世にて、数に思ひ入れぬことも、かの今はのとぢめに、一念の恨めしきも、もしはあはれとも思ふにまつはれてこそは、長き夜の闇にも惑ふわざななれ。かかればこそは、何ごとにも執はとどめじと思ふ世なれ」 |
「この笛は厄介なものだな。故人が執着していた笛の、行くべき所ではなかったのだ。女方から伝わっても意味のなことだ。どのように思ったことだろう。この世に、物の数にも入らない些事も、あの臨終の際に、一心に恨めしく思ったり、または愛情を持ったりしては、無明長夜の闇に迷うということだ。そうだからこそ、どのようなことにも執着は持つまいと思うのだ」 |
など、思し続けて、愛宕に誦経せさせたまふ。また、かの心寄せの寺にもせさせたまひて、 |
などと、お考え続けなさって、愛宕で誦経をおさせになる。また、故人が帰依していた寺にもおさせになって、 |
「この笛をば、わざと人のさるゆゑ深きものにて、引き出でたまへりしを、たちまちに仏の道におもむけむも、尊きこととはいひながら、あへなかるべし」 |
「この笛を、わざわざ御息所が特別の遺品として、譲り下さったのを、すぐにお寺に納めるのも、供養になるとは言うものの、あまりにあっけなさすぎよう」 |
と思ひて、六条の院に参りたまひぬ。 |
と思って、六条院に参上なさった。 |
女御の御方におはしますほどなりけり。三の宮、三つばかりにて、中にうつくしくおはするを、こなたにぞまた取り分きておはしまさせたまひける。走り出でたまひて |
女御の御方にいらっしゃる時なのであった。三の宮は、三歳ほどで、親王の中でもかわいらしくいらっしゃるのを、こちらではまた特別に引き取ってお住ませなさっているのであった。走っておいでになって、 |
「大将こそ、宮抱きたてまつりて、あなたへ率ておはせ」 |
「大将よ、宮をお抱き申しあげて、あちらへ連れていらっしゃい」 |
と、みづからかしこまりて、いとしどけなげにのたまへば、うち笑ひて、 |
と、自分に敬語をつけて、とても甘えておっしゃるので、ほほ笑んで、 |
「おはしませ。いかでか御簾の前をば渡りはべらむ。いと軽々ならむ」 |
「いらっしゃい。どうして御簾の前を行けましょうか。たいそう無作法でしょう」 |
とて、抱きたてまつりてゐたまへれば、 |
と言って、お抱き申してお座りになると、 |
「人も見ず。まろ、顔は隠さむ。なほなほ」 |
「誰も見ていません。わたしが、顔を隠そう。さあさあ」 |
とて、御袖してさし隠したまへば、いとうつくしうて、率てたてまつりたまふ。 |
と言って、お袖で顔をお隠しになるので、とてもかわいらしいので、お連れ申し上げなさる。 |