第一章 夕霧の物語 小野山荘訪問
2. 八月二十日頃、夕霧、小野山荘を訪問
本文 |
現代語訳 |
八月中の十日ばかりなれば、野辺のけしきもをかしきころなるに、山里のありさまのいとゆかしければ、 |
八月二十日のころなので、野辺の様子も美しい時期だし、山里の様子もとても気になるので、 |
「なにがし律師のめづらしう下りたなるに、せちに語らふべきことあり。御息所の患ひたまふなるもとぶらひがてら、参うでむ」 |
「何某律師が珍しく下山していると言うので、是非に相談したいことがある。御息所が病気でいらっしゃると言うのもお見舞いがてら、お伺いしよう」 |
と、おほかたにぞ聞こえて出でたまふ。御前、ことことしからで、親しき限り五、六人ばかり、狩衣にてさぶらふ。ことに深き道ならねど、松が崎の小山の色なども、さる巌ならねど、秋のけしきつきて、都に二なくと尽くしたる家居には、なほ、あはれも興もまさりてぞ見ゆるや。 |
と、さりげない用件のように申し上げてお出かけになる。御前駆、大げさにせず、親しい者だけ五、六人ほどが、狩衣姿で従う。特別深い山道ではないが、松が崎の小山の色なども、それほどの岩山ではないが、秋らしい様子になって、都で又となく善美を尽くした住居より、やはり、情趣も風情も立ち勝って見えることであるよ。 |
はかなき小柴垣もゆゑあるさまにしなして、かりそめなれどあてはかに住まひなしたまへり。寝殿とおぼしき東の放出に、修法の檀塗りて、北の廂におはすれば、西面に宮はおはします。 |
ちょっとした小柴垣も風流な様に作ってあって、仮のお住まいだが品よくお暮らしになっていらっしゃった。寝殿と思われる東の放出に、修法の壇を塗り上げて、北の廂の間にいらっしゃるの |
御もののけむつかしとて、とどめたてまつりたまひけれど、いかでか離れたてまつらむと、慕ひわたりたまへるを、人に移り散るを懼ぢて、すこしの隔てばかりに、あなたには渡したてまつりたまはず。 |
御物の怪が厄介だからと言って、お止め申し上げなさったが、どうしてお側を離れ申そうと、慕ってお移りになったのだが、物の怪が他の人に乗り移るのを恐れて、わずかの隔てを置く程度にして、そちらにはお入れ申し上げなさらない。で、西表の間に宮はいらっしゃる。 |
客人のゐたまふべき所のなければ、宮の御方の御簾の前に入れたてまつりて、上臈だつ人びと、御消息聞こえ伝ふ。 |
客人のお座りになる所がないので、宮の御方の簾の前にお入れ申して、上臈のような女房たちが、ご挨拶をお伝え申し上げる。 |
「いとかたじけなく、かうまでのたまはせ渡らせたまへるをなむ。もしかひなくなり果てはべりなば、このかしこまりをだに聞こえさせでやと、思ひたまふるをなむ、今しばしかけとどめまほしき心つきはべりぬる」 |
「まことにもったいなく、こんなにまで遠路はるばるお見舞いにお越し下さいまして。もしこのままはかなくなってしまいましたならば、このお礼をさえ申し上げることができないのではないかと、存じておりましたが、もう暫く生きていたいという気持ちになりました」 |
と、聞こえ出だしたまへり。 |
と、奥から申し上げなさった。 |
「渡らせたまひし御送りにもと思うたまへしを、六条院に承りさしたることはべりしほどにてなむ。日ごろも、そこはかとなく紛るることはべりて、思ひたまふる心のほどよりは、こよなくおろかに御覧ぜらるることの、苦しうはべる」 |
「お移りあそばした時のお供を致そうと存じておりましたが、六条院から仰せつけられていた事が中途になっていまして。このところも、何かと忙しい雑事がございまして、案じておりました気持ちよりも、ずっと誠意がない者のように御覧になられますのが、辛うございます」 |
など、聞こえたまふ。 |
などと、申し上げなさる。 |