第一章 夕霧の物語 小野山荘訪問
3. 夕霧、落葉宮に面談を申し入れる
本文 |
現代語訳 |
宮は、奥の方にいと忍びておはしませど、ことことしからぬ旅の御しつらひ、浅きやうなる御座のほどにて、人の御けはひおのづからしるし。いとやはらかにうちみじろきなどしたまふ御衣の音なひ、さばかりななりと、聞きゐたまへり。 |
宮は、奥の方にとてもひっそりとしていらっしゃるが、おおげさでない仮住まいのお設備で、端近な感じのご座所なので、宮のご様子も自然とはっきり伝わる。とても物静かに身じろぎなさる時の衣ずれの音、あれがそうなのだろうと、聞いていらっしゃった。 |
心も空におぼえて、あなたの御消息通ふほど、すこし遠う隔たる隙に、例の少将の君など、さぶらふ人びとに物語などしたまひて、 |
心も上の空になって、あちらへのご挨拶を伝えている間、少し長く手間取っているうちに、例の少将の君などの、伺候している女房たちにお話などなさって、 |
「かう参り来馴れ承ることの、年ごろといふばかりになりにけるを、こよなうもの遠うもてなさせたまへる恨めしさなむ。かかる御簾の前にて、人伝ての御消息などの、ほのかに聞こえ伝ふることよ。まだこそならはね。いかに古めかしきさまに、人びとほほ笑みたまふらむと、はしたなくなむ。 |
「このように参上して親しくお話を伺うことが、何年という程になったが、まったく他人行儀にお扱いなさる恨めしさよ。このような御簾の前で、人伝てのご挨拶などを、ほのかにお伝え申し上げるとはね。いまだ経験したことがないね。どんなにか古くさい人間かと、宮様方は笑っていらっしゃるだろうと、きまりの悪い思いがする。 |
齢積もらず軽らかなりしほどに、ほの好きたる方に面馴れなましかば、かううひうひしうもおぼえざらまし。さらに、かばかりすくすくしう、おれて年経る人は、たぐひあらじかし」 |
年齢も若く身分も低かったころに、多少とも色めいたことに経験が豊かであったら、こんな恥ずかしい思いはしなかったろうに。まったく、このように生真面目で、愚かしく年を過ごして来た人は、他にいないだろう」 |
とのたまふ。げに、いとあなづりにくげなるさましたまひつれば、さればよと、 |
とおっしゃる。なるほど、まことに軽々しくお扱いできないご様子でいらっしゃるので、やはりそうであったかと、 |
「なかなかなる御いらへ聞こえ出でむは、恥づかしう」 |
「中途半端なお返事を申し上げるのは、気が引けます」 |
などつきしろひて、 |
などとつっ突き合って |
「かかる御愁へ聞こしめし知らぬやうなり」 |
「このようなご不満に対し情趣を解さないように思われます」 |
と、宮に聞こゆれば、 |
と、宮に申し上げると、 |
「みづから聞こえたまはざめるかたはらいたさに、代はりはべるべきを、いと恐ろしきまでものしたまふめりしを、見あつかひはべりしほどに、いとどあるかなきかの心地になりてなむ、え聞こえぬ」 |
「ご自身で直接申し上げなさらないようなご無礼につき、代わって致さねばならないところですが、大変に恐いほどのご病気でいらっしゃったようなのを、看病致しておりましたうちに、ますます生きているのかどうなのか分からない気分になって、お返事申し上げることができません」 |
とあれば、 |
とおっしゃるので、 |
「こは、宮の御消息か」とゐ直りて、「心苦しき御悩みを、身に代ふばかり嘆ききこえさせはべるも、何のゆゑにか。かたじけなけれど、ものを思し知る御ありさまなど、はればれしき方にも見たてまつり直したまふまでは、平らかに過ぐしたまはむこそ、誰が御ためにも頼もしきことにははべらめと、推し量りきこえさするによりなむ。ただあなたざまに思し譲りて、積もりはべりぬる心ざしをも知ろしめされぬは、本意なき心地なむ」 |
「これは、宮のお返事ですか」と居ずまいを正して、「お気の毒なご病気を、わが身に代えてもとご心配申し上げておりましたのも、他ならぬあなたのためです。恐れ多いことですが、物事のご判断がお出来になるご様子などを、ご快復を御覧になられるまでは、平穏にお過ごしになられるのが、どなたにとっても心強いことでございましょうと、ご推察申し上げるのです。ただ母上様へのご心配ばかりとお考えになって、積もる思いをご理解下さらないのは、不本意でございます」 |
と聞こえたまふ。「げに」と、人びとも聞こゆ。 |
と申し上げなさる。「おっしゃる通りだ」と、女房たちも申し上げる。 |