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夕霧

第三章 一条御息所の物語 行き違いの不幸    

4. 夕霧、手紙を見る  

 

本文

現代語訳

 ひぐらしの声におどろきて、「山の蔭いかに霧りふたがりぬらむ。あさましや。今日この御返事をだに」と、いとほしうて、ただ知らず顔に硯おしすりて、「いかになしてしにかとりなさむ」と、眺めおはする。

 蜩の鳴き声に目が覚めて、「小野の麓ではどんなに霧が立ち籠めているだろう。何ということか。せめて今日中にお返事をしよう」と、お気の毒になって、ただ知らない顔をして硯を擦って、「どのように取り繕って書こうか」と、物思いに耽っていらっしゃる。

 御座の奥のすこし上がりたる所を、試みにひき上げたまへれば、「これにさし挟みたまへるなりけり」と、うれしうもをこがましうもおぼゆるに、うち笑みて見たまふに、かう心苦しきことなむありける。胸つぶれて、「一夜のことを、心ありて聞きたまうける」と思すに、いとほしう心苦し。

 ご座所の奥の少し盛り上がった所を、試しにお引き上げなさったところ、「ここに差し挟みなさったのだ」と、嬉しくもまた馬鹿らしくも思えるので、にっこりして御覧になると、あのようなおいたわしいことが書いてあったのであった。胸がどきりとして、「先夜の出来事を、何かあったようにお聞きになったのだ」とお思いになると、おいたわしくて胸が痛む。

 「昨夜だに、いかに思ひ明かしたまうけむ。今日も、今まで文をだに」

 「昨夜でさえ、どれほどの思いで夜をお明かしになったことだろう。今日も、今まで手紙さえ上げずに」

 と、言はむ方なくおぼゆ。いと苦しげに、言ふかひなく、書き紛らはしたまへるさまにて、

 と、何とも言いようなく思われる。とても苦しそうに、言いようもなく、書き紛らしていらっしゃる様子で、

 「おぼろけに思ひあまりてやは、かく書きたまうつらむ。つれなくて今宵の明けつらむ」

 「よほど思案にあまって、このようにお書きになったのだろう。返事のないまま、夜が明けていくのだろう」

 と、言ふべき方のなければ、女君ぞ、いとつらう心憂き。

 と、申し上げる言葉もないので、女君が、まことに辛く恨めしい。

「すずろに、かく、あだへ隠して。いでや、わがならはしぞや」と、さまざまに身もつらく、すべて泣きぬべき心地したまふ。

 「いいかげんな、あなようなことをして、悪ふざけに隠すとは。いやはや、自分がこのようにしつけたのだ」と、あれこれとわが身が情けなくなって、全く泣き出したい気がなさる。

 やがて出で立ちたまはむとするを、

 そのままお出かけなさろうとするが、

 「心やすく対面もあらざらむものから、人もかくのたまふ、いかならむ。坎日にもありけるを、もしたまさかに思ひ許したまはば、悪しからむ。なほ吉からむことをこそ」

 「気安く対面することもできないだろうから、御息所もあのようにおっしゃっているし、どうであろうか。坎日でもあったが、もし万が一にお許し下さっても、日が悪かろう。やはり縁起の良いように」

 と、うるはしき心に思して、まづ、この御返りを聞こえたまふ。

 と、几帳面な性格から判断なさって、まずは、このお返事を差し上げなさる。

 「いとめづらしき御文を、かたがたうれしう見たまふるに、この御咎めをなむ。いかに聞こし召したることにか。

 「とても珍しいお手紙を、何かと嬉しく拝見しましたが、このお叱りは。どのようにお聞きあそばしたのですか。

  秋の野の草の茂みは分けしかど

   仮寝の枕結びやはせし

  秋の野の草の茂みを踏み分けてお伺い致しましたが

   仮初の夜の枕に契りを結ぶようなことを致しましょうか

 明らめきこえさするもあやなけれど、昨夜の罪は、ひたやごもりにや

 言い訳を申すのも筋違いですが、昨夜の罪は、一方的過ぎませんでしょうか」

 とあり。宮には、いと多く聞こえたまて、御厩に足疾き御馬に移し置きて、一夜の大夫をぞたてまつれたまふ。

 とある。宮には、たいそう多くお書き申し上げなさって、御厩にいる足の速いお馬に移し鞍を置いて、先夜の大夫を差し向けなさる。

 「昨夜より、六条の院にさぶらひて、ただ今なむまかでつると言へ」

 「昨夜から、六条院に伺候していて、たった今退出してきたところだと言え」

 とて、言ふべきやう、ささめき教へたまふ。

 と言って、言うべきさま、ひそひそとお教えになる。




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