第四章 夕霧の物語 落葉宮に心あくがれる夕霧
4. 板ばさみの小少将君
本文 |
現代語訳 |
この人も、ましていみじう泣き入りつつ、 |
この人も、それ以上にひどく泣き入りながら、 |
「その夜の御返りさへ見えはべらずなりにしを、今は限りの御心に、やがて思し入りて、暗うなりにしほどの空のけしきに、御心地惑ひにけるを、さる弱目に、例の御もののけの引き入れたてまつる、となむ見たまへし。 |
「その夜のお返事さえ拝見せずじまいでしたが、もう最期という時のお心に、そのままお思いつめなさって、暗くなってしまいましたころの空模様に、ご気分が悪くなってしまいましたが、そのような弱目に、例の物の怪が取りつき申したのだ、と拝見しました。 |
過ぎにし御ことにも、ほとほと御心惑ひぬべかりし折々多くはべりしを、宮の同じさまに沈みたまうしを、こしらへきこえむの御心強さになむ、やうやうものおぼえたまうし。この御嘆きをば、御前には、ただわれかの御けしきにて、あきれて暮らさせたまうし」 |
以前の御事でも、ほとんど人心地をお失いになったような時々が多くございましたが、宮が同じように沈んでいらっしゃったのを、お慰め申そうとのお気を強くお持ちになって、だんだんとお気をしっかりなさいました。このお嘆きを、宮におかれては、まるで正体のないようなご様子で、ぼんやりとしていらっしゃるのでした」 |
など、とめがたげにうち嘆きつつ、はかばかしうもあらず聞こゆ。 |
などと、涙を止めがたそうに悲しみながら、はきはきとせず申し上げる。 |
「そよや。そもあまりにおぼめかしう、いふかひなき御心なり。今は、かたじけなくとも、誰をかはよるべに思ひきこえたまはむ。御山住みも、いと深き峰に、世の中を思し絶えたる雲の中なめれば、聞こえ通ひたまはむこと難し。 |
「そうですね。それもあまりに頼りなく、情けないお心です。今は、恐れ多いことですが、誰を頼りにお思い申し上げなさるのでしょう。御山暮らしの父院も、たいそう深い山の中で、世の中を思い捨てなさった雲の中のようなので、お手紙のやりとりをなさるにも難しい。 |
いとかく心憂き御けしき、聞こえ知らせたまへ。よろづのこと、さるべきにこそ。世にあり経じと思すとも、従はぬ世なり。まづは、かかる御別れの、御心にかなはば、あるべきことかは」 |
ほんとうにこのような冷たいお心を、あなたからよく申し上げてください。万事が、前世からの定めなのです。この世に生きていたくないとお思いになっても、そうはいかない世の中です。第一、このような死別がお心のままになるなら、この死別もあるはずがありません」 |
など、よろづに多くのたまへど、聞こゆべきこともなくて、うち嘆きつつゐたり。鹿のいといたく鳴くを、「われ劣らめや」とて、 |
などと、いろいろと多くおっしゃるが、お返事申し上げる言葉もなくて、ただ溜息をつきながら座っていた。鹿がとても悲しそうに鳴くのを、「自分も鹿に劣ろうか」と思って、 |
「里遠み小野の篠原わけて来て 我も鹿こそ声も惜しまね」 |
「人里が遠いので小野の篠原を踏み分けて来たが わたしも鹿のように声も惜しまず泣いています」 |
とのたまへば、 |
とおっしゃると、 |
「藤衣露けき秋の山人は 鹿の鳴く音に音をぞ添へつる」 |
「喪服も涙でしめっぽい秋の山里人は 鹿の鳴く音に声を添えて泣いています」 |
よからねど、折からに、忍びやかなる声づかひなどを、よろしう聞きなしたまへり。 |
上手な歌ではないが、時が時とて、ひっそりとした声の調子などを、けっこうにお聞きになった。 |
御消息とかう聞こえたまへど、 |
ご挨拶をあれこれ申し上げなさるが、 |
「今は、かくあさましき夢の世を、すこしも思ひ覚ます折あらばなむ、絶えぬ御とぶらひも聞こえやるべき」 |
「今は、このように思いがけない夢のような世の中を、少しでも落ち着きを取り戻す時がございましたら、たびたびのお見舞いにもお礼申し上げましょう」 |
とのみ、すくよかに言はせたまふ。「いみじういふかひなき御心なりけり」と、嘆きつつ帰りたまふ。 |
とだけ、素っ気なく言わせなさる。「ひどく何とも言いようのないお心だ」と、嘆きながらお帰りになる。 |