第四章 夕霧の物語 落葉宮に心あくがれる夕霧
5. 夕霧、一条宮邸の側を通って帰宅
本文 |
現代語訳 |
道すがらも、あはれなる空を眺めて、十三日の月のいとはなやかにさし出でぬれば、小倉の山もたどるまじうおはするに、一条の宮は道なりけり。 |
道すがら、しみじみとした空模様を眺めて、十三日の月がたいそう明るく照り出したので、薄暗い小倉の山も難なく通れそうに思っているうちに、一条の宮邸はその途中であった。 |
いとどうちあばれて、未申の方の崩れたるを見入るれば、はるばると下ろし籠めて、人影も見えず。月のみ遣水の面をあらはに澄みましたるに、大納言、ここにて遊びなどしたまうし折々を、思ひ出でたまふ。 |
以前にもまして荒れて、南西の方角の築地の崩れている所から覗き込むと、ずっと一面に格子を下ろして、人影も見えない。月だけが遣水の表面をはっきりと照らしているので、大納言が、ここで管弦の遊びなどをなさった時々のことを、お思い出しになる。 |
「見し人の影澄み果てぬ池水に ひとり宿守る秋の夜の月」 |
「あの人がもう住んでいないこの邸の池の水に 独り宿守りしている秋の夜の月よ」 |
と独りごちつつ、殿におはしても、月を見つつ、心は空にあくがれたまへり。 |
と独言を言いながら、お邸にお帰りになっても、月を見ながら、心はここにない思いでいらっしゃった。 |
「さも見苦しう。あらざりし御癖かな」 |
「何ともみっもない。今までになかったお振る舞いですこと」 |
と、御達も憎みあへり。上は、まめやかに心憂く、 |
と、おもだった女房たちも憎らしがっていた。北の方は、真実嫌な気がして、 |
「あくがれたちぬる御心なめり。もとよりさる方にならひたまへる六条の院の人びとを、ともすればめでたきためしにひき出でつつ、心よからずあいだちなきものに思ひたまへる、わりなしや。我も、昔よりしかならひなましかば、人目も馴れて、なかなか過ごしてまし。世のためしにしつべき御心ばへと、親兄弟よりはじめたてまつり、めやすきあえものにしたまへるを、ありありては、末に恥がましきことやあらむ」 |
「魂が抜け出たお方のようだ。もともと何人もの夫人たちがいっしょに住んでいらっしゃる六条院の方々を、ともすれば素晴らしい例として引き出し引き出しては、性根の悪い無愛想な女だと思っていらっしゃる、やりきれないわ。わたしも昔からそのように住むことに馴れていたならば、人目にも無難に、かえってうまくいったでしょうが。世の男性の模範にしてもよいご性質と、親兄弟をはじめ申して、けっこうなあやかりたい者となさっていたのに、このままいったら、あげくの果ては恥をかくことがあるだろう」 |
など、いといたう嘆いたまへり。 |
などと、とてもひどく嘆いていらっしゃった。 |
夜明け方近く、かたみにうち出でたまふことなくて、背き背きに嘆き明かして、朝霧の晴れ間も待たず、例の、文をぞ急ぎ書きたまふ。いと心づきなしと思せど、ありしやうにも奪ひたまはず。いとこまやかに書きて、うち置きてうそぶきたまふ。忍びたまへど、漏りて聞きつけらる。 |
夜明け方近く、お互いに口に出すこともなくて、背き合いながら夜を明かして、朝霧の晴れる間も待たず、いつものように、手紙を急いでお書きになる。とても気にくわないとお思いになるが、以前のようには奪い取りなさらない。たいそう情愛をこめて書いて、ちょっと下に置いて歌を口ずさみなさる。声をひそめていらっしゃったが、漏れて聞きつけられる。 |
「いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の 夢覚めてとか言ひしひとこと 上より落つる」 |
「いつになったらお訪ねしたらよいのでしょうか 明けない夜の夢が覚めたらとおっしゃったことは お返事がありません」 |
とや書いたまひつらむ、おし包みて、名残も、「いかでよからむ」など口ずさびたまへり。人召して賜ひつ。「御返り事をだに見つけてしがな。なほ、いかなることぞ」と、けしき見まほしう思す。 |
とでもお書きになったのであろうか、手紙を包んで、その後も、「どうしたらよかろう」などと口ずさんでいらっしゃった。人を召してお渡しになった。「せめてお返事だけでも見たいものだわ。やはり、本当はどうなのかしら」と、様子を窺いたくお思いになっている。 |