第五章 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る
5. 落葉宮、自邸へ向かう
本文 |
現代語訳 |
集りて聞こえこしらふるに、いとわりなく、あざやかなる御衣ども、人びとのたてまつり替へさするも、われにもあらず、なほ、いとひたぶるに削ぎ捨てまほしう思さるる御髪を、かき出でて見たまへば、六尺ばかりにて、すこし細りたれど、人はかたはにも見たてまつらず、みづからの御心には、 |
寄ってたかって説得申し上げるので、とても困りきって、色鮮やかなお召し物を、女房たちがお召し替え申し上げるにも、夢心地で、やはり、とても一途に削き落としたく思われなさる御髪を、掻き出して御覧になると、六尺ほどあって、少し細くなったが、女房たちは不完全だとは拝見せず、ご自身のお気持ちでは、 |
「いみじの衰へや。人に見ゆべきありさまにもあらず。さまざまに心憂き身を」 |
「ひどく衰えたこと。とても男の人にお見せできなる有様ではない。いろいろと情けない身の上であるものを」 |
と思し続けて、また臥したまひぬ。 |
とお思い続けなさって、また臥せっておしまいになった。 |
「時違ひぬ。夜も更けぬべし」 |
「時刻に遅れます。夜も更けてしまいます」 |
と、皆騒ぐ。時雨いと心あわたたしう吹きまがひ、よろづにもの悲しければ、 |
と、皆が騷ぐ。時雨がとても心急かせるように風に吹き乱れて、何事にもつけ悲しいので、 |
「のぼりにし峰の煙にたちまじり 思はぬ方になびかずもがな」 |
「母君が上っていった峰の煙と一緒になって 思ってもいない方角にはなびかずにいたいものだわ」 |
心ひとつには強く思せど、そのころは、御鋏などやうのものは、皆とり隠して、人びとの守りきこえければ、 |
ご自分では気強く思っていらっしゃるが、そのころは、お鋏などのような物は、みな取り隠して、女房たちが目をお離し申さずいたので、 |
「かくもて騒がざらむにてだに、何の惜しげある身にてか、をこがましう、若々しきやうにはひき忍ばむ。人聞きもうたて思すまじかべきわざを」 |
「このように騒がないでいても、どうして惜しい身の上で、愚かしく、子供っぽくもこっそり髪を下ろしたりしようか。人聞きも悪いとお思いなさることを」 |
と思せば、その本意のごともしたまはず。 |
とお思いになると、ご希望通りの出家もなさらない。 |
人びとは、皆いそぎ立ちて、おのおの、櫛、手筥、唐櫃、よろづの物を、はかばかしからぬ袋やうの物なれど、皆さきだてて運びたれば、一人止まりたまふべうもあらで、泣く泣く御車に乗りたまふも、傍らのみまもられたまて、こち渡りたまうし時、御心地の苦しきにも、御髪かき撫でつくろひ、下ろしたてまつりたまひしを思し出づるに、目も霧りていみじ。御佩刀に添へて経筥を添へたるが、御傍らも離れねば、 |
女房たちは、全員急ぎ出して、それぞれ、櫛や、手箱や、唐櫃や、いろいろな道具類を、つまらない袋入れのような物であるが、全部前もって運んでしまっていたので、独り居残っているわけにもゆかず、泣く泣くお車にお乗りになるのも、隣の空席ばかりに自然と目が行きなさって、こちらにお移りになった時、ご気分が優れなかったにも関わらず、御髪をかき撫でて繕って、降ろしてくださったことをお思い出しになると、目も涙にむせんでたまらない。御佩刀といっしょに経箱を持っているが、いつもお側にあるので、 |
「恋しさの慰めがたき形見にて 涙にくもる玉の筥かな」 |
「恋しさを慰められない形見の品として 涙に曇る玉の箱ですこと」 |
黒きもまだしあへさせたまはず、かの手ならしたまへりし螺鈿の筥なりけり。誦経にせさせたまひしを、形見にとどめたまへるなりけり。浦島の子が心地なむ。 |
黒造りのもまだお調えにならず、あの日頃親しくお使いになっていた螺鈿の箱なのであった。お布施の料としてお作らせになったのだが、形見として残して置かれたのであった。浦島の子の気がなさる。 |