第一章 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語
4. 紫の上、花散里と和歌を贈答
本文 |
現代語訳 |
昨日、例ならず起きゐたまへりし名残にや、いと苦しうして臥したまへり。年ごろ、かかるものの折ごとに、参り集ひ遊びたまふ人びとの御容貌ありさまの、おのがじし才ども、琴笛の音をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。 |
昨日は、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか、とても苦しくて臥せっていらっしゃる。長年、このような機会ごとに、参集して音楽をなさる方々のご容貌や態度が、それぞれの才能、琴笛の音色をも、今日が見たり聞いたりなさる最後になるだろう、とばかりお思いなさるので、格別に目にもとまらないはずの人達の顔も、しみじみと一人一人に目が自然とお止まりになる。 |
まして、夏冬の時につけたる遊び戯れにも、なま挑ましき下の心は、おのづから立ちまじりもすらめど、さすがに情けを交はしたまふ方々は、誰れも久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我一人行方知らずなりなむを思し続くる、いみじうあはれなり。 |
それ以上に、夏冬の四季折々の音楽会や遊びなどにも、何となく張り合う気持ちは、自然と沸き起こって来るようであるが、やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々は、誰もみな永久に生きていらっしゃれる世の中ではないが、まず自分独りが先立って行くのをお考え続けなさると、ひどく悲しいのである。 |
こと果てて、おのがじし帰りたまひなむとするも、遠き別れめきて惜しまる。花散里の御方に、 |
法会が終わって、それぞれお帰りになろうとするのも、永遠の別れのように思われて惜しまれる。花散里の御方に、 |
「絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる 世々にと結ぶ中の契りを」 |
「これが最後と思われます法会ですが、頼もしく思われます 生々世々にかけてと結んだあなたとの縁を」 |
御返り、 |
お返事は、 |
「結びおく契りは絶えじおほかたの 残りすくなき御法なりとも」 |
「あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう 普通の人には残り少ない命とて、多くは催せない法会でしょうとも」 |
やがて、このついでに、不断の読経、懺法など、たゆみなく、尊きことどもせさせたまふ。御修法は、ことなるしるしも見えでほども経ぬれば、例のことになりて、うちはへさるべき所々、寺々にてぞせさせたまひける。 |
引き続き、この機会に、不断の読経や、懺法などを、怠りなく、尊い仏事の数々をおさせになる。御修法は、格別の効験も現れないで時が過ぎたので、いつものことになって、引き続いてしかるべきあちらこちら、寺々においておさせになった。 |