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御法

第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀    

3. 源氏、紫の上の落飾のことを諮る  

 

本文

現代語訳

 宮も、帰りたまはで、かくて見たてまつりたまへるを、限りなく思す。誰れも誰れも、ことわりの別れにて、たぐひあることとも思されず、めづらかにいみじく、明けぐれの夢に惑ひたまふほど、さらなりや。

 中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを、感慨無量にお思いあそばす。どなたもどなたも、当然の別れとして、誰にでもあることともお思いなされず、又とない大変な悲しみとして、明け方のほの暗い夢かとお惑いなさるのは、言うまでもないことであるよ。

 さかしき人おはせざりけり。さぶらふ女房なども、ある限り、さらにものおぼえたるなし。院は、まして思し静めむ方なければ、大将の君近く参りたまへるを、御几帳のもとに呼び寄せたてまつりたまひて、

 しっかりとした人はいらっしゃらなかった。伺候する女房たちも、居合わせた者は、全て分別のある者はまったくいない。院は、誰よりもお気の静めようもないので、大将の君がお側近くに参上なさっているのを、御几帳の側にお呼び寄せ申されて、

 「かく今は限りのさまなめるを、年ごろの本意ありて思ひつること、かかるきざみに、その思ひ違へてやみなむがいといとほしき。御加持にさぶらふ大徳たち、読経の僧なども、皆声やめて出でぬなるを、さりとも、立ちとまりてものすべきもあらむ。この世にはむなしき心地するを、仏の御しるし、今はかの冥き途のとぶらひにだに頼み申すべきを、頭おろすべきよしものしたまへ。さるべき僧、誰れかとまりたる」

 「このように今はもうご臨終のようなので、長年願っていたこと、このような際にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそうだ。御加持を勤める大徳たち、読経の僧なども、皆声を止めて帰ったようだが、そうはいっても、まだ残っている僧たちもいるだろう。この現世のためには何の役にも立たないような気がするが、仏の御利益は、今はせめて冥途の道案内としてでもお頼み申さねばならないゆえ、剃髪するよう計らいなさい。適当な僧で、誰が残っているか」

 などのたまふ御けしき、心強く思しなすべかめれど、御顔の色もあらぬさまに、いみじく堪へかね、御涙のとまらぬを、ことわりに悲しく見たてまつりたまふ。

 などとおっしゃるご様子、気強くお思いのようであるが、お顔の色も常とは変わって、ひどく悲しみに堪えかね、お涙の止まらないのを、無理もないことと悲しく拝し上げなさる。

 「御もののけなどの、これも、人の御心乱らむとて、かくのみものははべめるを、さもやおはしますらむ。さらば、とてもかくても、御本意のことは、よろしきことにはべなり。一日一夜忌むことのしるしこそは、むなしからずははべなれ。まことにいふかひなくなり果てさせたまひて、後の御髪ばかりをやつさせたまひても、異なるかの世の御光ともならせたまはざらむものから、目の前の悲しびのみまさるやうにて、いかがはべるべからむ」

 「御物の怪などが、今度も、この方のお心を悩まそうとして、このようなことになるもののようでございますから、そのようなことでいらっしゃいましょう。それならば、いずれにせよ、御念願のことは、結構なことでございます。一日一夜でも戒をお守りになりましたら、その効は必ずあるものと聞いております。本当に息絶えてしまわれて、後から御髪だけをお下ろしなさっても、特に後世の御功徳とはおなりではないでしょうから、目の前の悲しみだけが増えるようで、いかがなものでございましょうか」

 と申したまひて、御忌に籠もりさぶらふべき心ざしありてまかでぬ僧、その人、かの人など召して、さるべきことども、この君ぞ行なひたまふ。

 と申し上げなさって、御忌みに籠もって伺候しようとするお志があって止まっている僧のうち、あの僧、この僧などをお召しになって、しかるべきことどもを、この君がお命じになる。



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