御法



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御法

第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀    

2. 明石中宮に看取られ紫の上、死去す  

 

本文

現代語訳

 風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて、脇息に寄りゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、

 風が身にこたえるように吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして、脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、院がお渡りになって拝見なさって、

 「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」

 「今日は、とても具合好く起きていらっしゃいますね。この御前では、すっかりご気分も晴れ晴れなさるようですね」

 と聞こえたまふ。かばかりの隙あるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる御けしきを見たまふも、心苦しく、「つひに、いかに思し騒がむ」と思ふに、あはれなれば、

 と申し上げなさる。この程度の気分の好い時があるのをも、まことに嬉しいとお思い申し上げていらっしゃるご様子を御覧になるのも、おいたわしく、「とうとう最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみ悲しいので、

 「おくと見るほどぞはかなきともすれば

   風に乱るる萩のうは露」

 「起きていると見えますのも暫くの間のこと

ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のような私の命です」

 げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる折さへ忍びがたきを、見出だしたまひても、

 なるほど、風にひるがえってこぼれそうなのが、よそえられたのさえ我慢できないので、お覗きになっても、

 「ややもせば消えをあらそふ露の世に

   後れ先だつほど経ずもがな」

 「どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に

 せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです」

 とて、御涙を払ひあへたまはず。宮、

 と言って、お涙もお拭いになることができない。中宮、

 「秋風にしばしとまらぬ露の世を

   誰れか草葉のうへとのみ見む」

 「秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を

   誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか」

 と聞こえ交はしたまふ御容貌ども、あらまほしく、見るかひあるにつけても、「かくて千年を過ぐすわざもがな」と思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめむ方なきぞ悲しかりける。

 と詠み交わしなさるご器量、申し分なく、見る価値があるにつけても、「こうして千年を過ごしていたいものだ」と思われなさるが、思うにまかせないことなので、命を掛け止めるすべがないのが悲しいのであった。

 「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどと言ひながら、いとなめげにはべりや」

 「もうお帰りなさいませ。気分がひどく悪くなりました。お話にもならないほどの状態になってしまったとは申しながらも、まことに失礼でございます」

 とて、御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、

 と言って、御几帳引き寄せてお臥せりになった様子が、いつもより頼りなさそうにお見えなので、

 「いかに思さるるにか」

 「どうあそばしましたか」

 とて、宮は、御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して、限りに見えたまへば、御誦経の使ひども、数も知らず立ち騷ぎたり。先ざきも、かくて生き出でたまふ折にならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。

 とおっしゃって、中宮は、お手をお取り申して泣きながら拝し上げなさると、本当に消えてゆく露のような感じがして、今が最期とお見えなので、御誦経の使者たちが、数えきれないほど騷ぎだした。以前にもこうして生き返りなさったことがあったのと同じように、御物の怪のしわざか、と疑いなさって、一晩中いろいろな加持祈祷のあらん限りをし尽くしなさったが、その甲斐もなく、夜の明けきるころにお亡くなりになった。



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