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第二章 光る源氏の物語 紫の上追悼の夏の物語    

4. 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ  

 

本文

現代語訳

 いと暑きころ、涼しき方にて眺めたまふに、池の蓮の盛りなるを見たまふに、「いかに多かる」など、まづ思し出でらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、日も暮れにけり。ひぐらしの声はなやかなるに、御前の撫子の夕映えを、一人のみ見たまふは、げにぞかひなかりける。

 たいそう暑いころ、涼しい所で物思いに耽っていらっしゃる折、池の蓮の花が盛りなのを御覧になると、「なんと多い涙か」などと、何より先に思い出されるので、茫然として、つくねんとしていらっしゃるうちに、日も暮れてしまった。蜩の声がにぎやかなので、御前の撫子が夕日に映えた様子を、独りだけで御覧になるのは、本当に甲斐のないことであった。

 「つれづれとわが泣き暮らす夏の日を

   かことがましき虫の声かな」

 「することもなく涙とともに日を送っている夏の日を

   わたしのせいみたいに鳴いている蜩の声だ」

 蛍のいと多う飛び交ふも、「夕殿に蛍飛んで」と、例の、古事もかかる筋にのみ口馴れたまへり。

 螢がとても数多く飛び交っているのも、「夕べの殿に螢が飛んで」と、いつもの、古い詩もこうした方面にばかり口馴れていらっしゃった。

 「夜を知る蛍を見ても悲しきは

   時ぞともなき思ひなりけり」

 「夜になったことを知って光る螢を見ても悲しいのは

   昼夜となく燃える亡き人を恋うる思いであった」



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