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第三章 光る源氏の物語 紫の上追悼の秋冬の物語    

1. 紫の上の一周忌法要  

 

本文

現代語訳

 七月七日も、例に変りたること多く、御遊びなどもしたまはで、つれづれに眺め暮らしたまひて、星逢ひ見る人もなし。まだ夜深う、一所起きたまひて、妻戸押し開けたまへるに、前栽の露いとしげく、渡殿の戸よりとほりて見わたさるれば、出でたまひて、

 七月七日も、いつもと変わったことが多く、管弦のお遊びなどもなさらず、何もせずに一日中物思いに耽ってお過ごしになって、星合の空を見る人もいない。まだ夜は深く、独りお起きになって、妻戸を押し開けなさると、前栽の露がとてもびっしょりと置いて、渡殿の戸から通して見渡されるので、お出になって、

 「七夕の逢ふ瀬は雲のよそに見て

   別れの庭に露ぞおきそふ」

 「七夕の逢瀬は雲の上の別世界のことと見て

   その後朝の別れの庭の露に悲しみの涙を添えることよ」

 風の音さへただならずなりゆくころしも、御法事の営みにて、ついたちころは紛らはしげなり。「今まで経にける月日よ」と思すにも、あきれて明かし暮らしたまふ。

 風の音までがたまらないものになってゆくころ、御法事の準備で、上旬ころは気が紛れるようである。「今まで生きて来た月日よ」とお思いになるにつけても、あきれる思いで暮らしていらっしゃる。

 御正日には、上下の人びと皆斎して、かの曼陀羅など、今日ぞ供養ぜさせたまふ。例の宵の御行ひに、御手水など参らする中将の君の扇に、

 御命日には、上下の人びとがみな精進して、あの曼陀羅などを、今日ご供養あそばす。いつもの宵のご勤行に、御手水を差し上げる中将の君の扇に、

 「君恋ふる涙は際もなきものを

   今日をば何の果てといふらむ」

 「ご主人様を慕う涙は際限もないものですが

   今日は何の果ての日と言うのでしょう」

 と書きつけたるを、取りて見たまひて、

 と書きつけてあるのを、手に取って御覧になって、

 「人恋ふるわが身も末になりゆけど

   残り多かる涙なりけり」

 「人を恋い慕うわが余命も少なくなったが

   残り多い涙であることよ」

 と、書き添へたまふ。

 と、書き加えなさる。

 九月になりて、九日、綿おほひたる菊を御覧じて、

 九月になって、九日、綿被いした菊を御覧になって、

 「もろともにおきゐし菊の白露も

   一人袂にかかる秋かな」

 「一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も

   今年の秋はわたし独りの袂にかかることだ」



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