第四章 玉鬘の物語 玉鬘の姫君たちの物語
2. 翌日、冷泉院、薫を召す
本文 |
現代語訳 |
夜一夜、所々かきありきて、いと悩ましう苦しくて臥したるに、源侍従を、院より召したれば、「あな、苦し。しばし休むべきに」とむつかりながら参りたまへり。御前のことどもなど問はせたまふ。 |
一晩中、方々を歩いて、とても気分が苦しくて臥せっているところに、源侍従を、院から召されたので、「ああ、苦しい。もう暫く休みたいのに」と文句を言いながら参上なさった。宮中でのことなどをお尋ねあそばす。 |
「歌頭は、うち過ぐしたる人のさきざきするわざを、選ばれたるほど、心にくかりけり」 |
「歌頭は、年配者がこれまでは勤めた役なのに、選ばれたことは、大したものだね」 |
とて、うつくしと思しためり。「万春楽」を御口ずさみにしたまひつつ、御息所の御方に渡らせたまへば、御供に参りたまふ。物見に参りたる里人多くて、例よりははなやかに、けはひ今めかし。 |
とおっしゃって、かわいいとお思いになっているようである。「万春楽」をお口ずさみなさりながら、御息所の御方にお渡りあそばすので、お供して参上なさる。見物に参った里方の人が多くて、いつもより華やかで、雰囲気が賑やかである。 |
渡殿の戸口にしばしゐて、声聞き知りたる人に、ものなどのたまふ。 |
渡殿の戸口に暫く座って、声を聞き知っている女房に、お話などなさる。 |
「一夜の月影は、はしたなかりしわざかな。蔵人少将の、月の光にかかやきたりしけしきも、桂の影に恥づるにはあらずやありけむ。雲の上近くては、さしも見えざりき」 |
「昨夜の月の光は、体裁の悪かったことだなあ。蔵人少将が、月の光に面映ゆく思っていた様子も、桂の影に恥ずかしがっていたのではなかろうか。雲の上近くでは、そんなには見えませんでした」 |
など語りたまへば、人びとあはれと、聞くもあり。 |
などとお話なさると、女房たちはお気の毒にと、聞く者もいる。 |
「闇はあやなきを、月映えは、今すこし心異なり、と定めきこえし」などすかして、内より、 |
「闇でははっきりしませんが、月に照らされたお姿は、あなたのほうが素晴らしかった、とお噂しました」などとおだてて、内側から、 |
「竹河のその夜のことは思ひ出づや しのぶばかりの節はなけれど」 |
「竹河を謡ったあの夜のことは覚えていらっしゃいますか 思い出すほどの出来事はございませんが」 |
と言ふ。はかなきことなれど、涙ぐまるるも、「げに、いと浅くはおぼえぬことなりけり」と、みづから思ひ知らる。 |
と言う。ちょっとしたことだが、涙ぐまれるのも、「なるほど、浅いご思慕ではなかったのだ」と、自分ながら分かって来る。 |
「流れての頼めむなしき竹河に 世は憂きものと思ひ知りにき」 |
「今までの期待も空しいとことと分かって 世の中は嫌なものだとつくづく思い知りました」 |
ものあはれなるけしきを、人びとをかしがる。さるは、おり立ちて人のやうにもわびたまはざりしかど、人ざまのさすがに心苦しう見ゆるなり。 |
しんみりした様子を、女房たちは面白がる。とはいえ、態度に現して少将のようには泣き言はおっしゃらなかったが、人柄がそうは言ってもお気の毒に見えるのである。 |
「うち出で過ぐすこともこそはべれ。あな、かしこ」 |
「おしゃべりし過ぎましては。では、失礼」 |
とて、立つほどに、「こなたに」と召し出づれば、はしたなき心地すれど、参りたまふ。 |
と言って、立つところに、「こちらへ」とお召しがあったので、きまりの悪い思いがしたが、参上なさる。 |
「故六条院の、踏歌の朝に、女楽にて遊びせられける、いとおもしろかりきと、右の大臣の語られし。何ごとも、かのわたりのさしつぎなるべき人、難くなりにける世なりや。いと物の上手なる女さへ多く集まりて、いかにはかなきことも、をかしかりけむ」 |
「故六条院が、踏歌の翌朝に、女方で管弦の遊びをなさったのは、とても素晴らしかったと、右大臣が話されました。どのようなことにつけても、あのような方の後継者が、いなくなってしまった時代だね。とても音楽の上手な女性までが大勢集まって、どんなにちょっとしたことでも、面白かったことであろう」 |
など思しやりて、御琴ども調べさせたまひて、箏は御息所、琵琶は侍従に賜ふ。和琴を弾かせたまひて、「この殿」など遊びたまふ。御息所の御琴の音、まだ片なりなるところありしを、いとよう教へないたてまつりたまひてけり。今めかしう爪音よくて、歌、曲のものなど、上手にいとよく弾きたまふ。何ごとも、心もとなく、後れたることはものしたまはぬ人なめり。 |
などとご想像なさって、お琴類を調子を合わせあそばして、箏は御息所、琵琶は侍従にお与えになる。和琴をお弾きあそばして、「この殿」などを演奏なさる。御息所のお琴の音色は、まだ未熟なところがあったが、とてもよくお教え申し上げなさったのであった。華やかで爪音がよくて、歌謡の伴奏と、楽曲などを上手にたいそうよくお弾きになる。どのようなことも、心配で、至らないところはおありでない方のようである。 |
容貌、はた、いとをかしかべしと、なほ心とまる。かやうなる折多かれど、おのづから気遠からず、乱れたまふ方なく、なれなれしうなどは怨みかけねど、折々につけて、思ふ心の違へる嘆かしさをかすむるも、いかが思しけむ、知らずかし。 |
器量は、もちろんまた、実に素晴らしいのだろうと、やはり心が惹かれる。このような機会は多いが、自然とうとうとしくなく、程度を越すことはなく、馴れ馴れしく恨み言を言わないが、折々にふれて、望みが叶わなかった残念さをほのめかすのも、どのようにお思いになったであろうか、よく分からない。 |