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竹河

第五章 薫君の物語 人びとの昇進後の物語   

3. 右大臣家の大饗   

 

本文

現代語訳

 大臣の殿は、ただこの殿の東なりけり。大饗の垣下の君達など、あまた集ひたまふ。兵部卿宮、左の大臣殿の賭弓の還立、相撲の饗応などには、おはしまししを思ひて、今日の光と請じたてまつりたまひけれど、おはしまさず。

 大臣殿は、ちょうどこちらの殿の東であった。大饗の垣下の公達などが、大勢参上なさる。兵部卿宮や、左の大臣殿の賭弓の還立や、相撲の饗応などには、いらっしゃったことを思って、今日の光を添えて戴きたいとご招待申し上げなさったが、いらっしゃらなかった。

 心にくくもてかしづきたまふ姫君たちを、さるは、心ざしことに、いかで、と思ひきこえたまふべかめれど、宮ぞ、いかなるにかあらむ、御心もとめたまはざりける。源中納言の、いとどあらまほしうねびととのひ、何ごとも後れたる方なくものしたまふを、大臣も北の方も、目とどめたまひけり。

 奥ゆかしく大切にお世話なさっている姫君たちを、一方では、特に気を配って、何とか婿君に、と思い申し上げなさっているようであるが、宮は、どうしたことであろうか、お心を止めにならなかった。源中納言が、ますます理想的に成長して、どのような事にも劣ったことがなくいらっしゃるのを、大臣も北の方も、お目を止めていらっしゃった。

 隣のかくののしりて、行き違ふ車の音、先駆追ふ声々も、昔のこと思ひ出でられて、この殿には、ものあはれにながめたまふ。

 隣でこのように大騒ぎして、行き交う車の音、前駆の声々も、昔の事が自然と思い出されて、こちらの殿では、しみじみと物思いなさっている。

 「故宮亡せたまひて、ほどもなく、この大臣の通ひたまひしほどを、いとあはつけいやうに、世人はもどくなりしかど、かくてものしたまふも、さすがなる方にめやすかりけり。定めなの世や。いづれにか寄るべき」などのたまふ。

 「故宮がお亡くなりになって、間もなく、この大臣がお通いになったことを、まことに軽薄なように世間の人は非難したというが、愛情も薄れずにこのように暮らしておいでなのも、やはり無難なことであった。無常の世の中よ。どちらが良いものでしょうか」などとおっしゃる。



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