第二章 宇治八の宮の物語 薫、八の宮と親交を結ぶ
2. 冷泉院にて阿闍梨と薫語る
本文 |
現代語訳 |
この阿闍梨は、冷泉院にも親しくさぶらひて、御経など教へきこゆる人なりけり。京に出でたるついでに参りて、例の、さるべき文など御覧じて、問はせたまふこともあるついでに、 |
この阿闍梨は、冷泉院にも親しく伺候して、御経などお教え申し上げる僧なのであった。京に出た折に参上して、いつものように、しかるべき教典などを御覧になって、ご下問あそばすことがある折に、 |
「八の宮の、いとかしこく、内教の御才悟り深くものしたまひけるかな。さるべきにて、生まれたまへる人にやものしたまふらむ。心深く思ひ澄ましたまへるほど、まことの聖のおきてになむ見えたまふ」と聞こゆ。 |
「八の宮が、たいそうご聰明で、教典のご学問にも深く通じていらっしゃいますなあ。そのようになるはずの方として、お生まれになったのでいらっしゃる方なのでしょうか。お考えが深く悟り澄ましていらっしゃるほどは、本当の聖の心構えのようにお見えになります」と申し上げる。 |
「いまだ容貌は変へたまはずや。俗聖とか、この若き人びとの付けたなる、あはれなることなり」などのたまはす。 |
「まだ姿は変えていらっしゃらないのか。俗聖とか、ここの若い人達が名付けたというのは、殊勝なことだ」などと仰せになる。 |
宰相中将も、御前にさぶらひたまひて、「われこそ、世の中をばいとすさまじう思ひ知りながら、行ひなど、人に目とどめらるばかりは勤めず、口惜しくて過ぐし来れ」と、人知れず思ひつつ、「俗ながら聖になりたまふ心のおきてやいかに」と、耳とどめて聞きたまふ。 |
宰相中将も、御前に伺候なさって、「自分こそは、世の中を実に面白くなく悟っていながら、その行いなどを、人目につくほどは勤めず、残念に過ごして来てしまった」と、人知れず反省しながら、「在俗のまま聖におなりになる心構えとはどのようなものか」と、耳を止めてお聞きになる。 |
「出家の心ざしは、もとよりものしたまへるを、はかなきことに思ひとどこほり、今となりては、心苦しき女子どもの御上を、え思ひ捨てぬとなむ、嘆きはべりたうぶ」と奏す。 |
「出家の本願は、もともとお持ちでいらっしゃったが、つまらないことに心がにぶり、今となっては、お気の毒な姫君たちのお身の上を、お見捨てになることができないと、嘆いておられます」と奏す。 |
さすがに、物の音めづる阿闍梨にて、 |
そうは言っても、音楽は賞美する阿闍梨なので、 |
「げに、はた、この姫君たちの、琴弾き合はせて遊びたまへる、川波にきほひて聞こえはべるは、いとおもしろく、極楽思ひやられはべるや」 |
「なるほど、また、この姫君たちが、琴を合奏なさって楽しんでいらっしゃるのが、川波と競って聞こえますのは、たいそう興趣あって、極楽もかくやと想像されますね」 |
と、古体にめづれば、帝ほほ笑みたまひて、 |
と、古風に誉めるので、院の帝はほほ笑みなさって、 |
「さる聖のあたりに生ひ出でて、この世の方ざまは、たどたどしからむと推し量らるるを、をかしのことや。うしろめたく、思ひ捨てがたく、もてわづらひたまふらむを、もし、しばしも後れむほどは、譲りやはしたまはぬ」 |
「そのような聖の近くにお育ちになって、この世の方面のことは、暗かろうと想像されるが、興趣あることだね。気がかりで見捨てることができず、苦にしていらっしゃるだろうことが、もし、少しでも後に自分が生き残っているようであったら、後見役をお譲りなさらないだろうか」 |
などぞのたまはする。この院の帝は、十の御子にぞおはしましける。朱雀院の、故六条院に預けきこえたまひし、入道宮の御例を思ほし出でて、「かの君たちをがな。つれづれなる遊びがたきに」などうち思しけり。 |
などと仰せになる。この院の帝は、第十の皇子でいらっしゃるのであった。朱雀院が、故六条院にお預け申し上げなさった入道宮のご先例をお思い出しになって、「あの姫君たちを欲しいものだ。所在ない遊び相手として」などとお思いになるのであった。 |