第二章 宇治八の宮の物語 薫、八の宮と親交を結ぶ
3. 阿闍梨、八の宮に薫を語る
本文 |
現代語訳 |
中将の君、なかなか、親王の思ひ澄ましたまへらむ御心ばへを、「対面して、見たてまつらばや」と思ふ心ぞ深くなりぬる。さて阿闍梨の帰り入るにも、 |
中将の君は、かえって、親王が悟り澄ましていらっしゃるお心づかいを、「お目にかかって、お伺いしたいものだ」と思う気持ちが深くなった。そうして阿闍梨が山に帰ていくときにも、 |
「かならず参りて、もの習ひきこゆべく、まづうちうちにも、けしき賜はりたまへ」 |
「きっと参って、お教えて戴けるよう、まずは内々にでも、ご意向を伺ってください」 |
など語らひたまふ。 |
などとお頼みになる。 |
帝の、御言伝てにて、「あはれなる御住まひを、人伝てに聞くこと」など聞こえたまうて、 |
院の帝が、御使者を介して、「お気の毒な御生活を、人伝てに聞きまして」など申し上げなさって、 |
「世を厭ふ心は山にかよへども 八重立つ雲を君や隔つる」 |
「世を厭う気持ちは宇治山に通じておりますが 幾重にも雲であなたが隔てていらっしゃるのでしょうか」 |
阿闍梨、この御使を先に立てて、かの宮に参りぬ。なのめなる際の、さるべき人の使だにまれなる山蔭に、いとめづらしく、待ちよろこびたまうて、所につけたる肴などして、さる方にもてはやしたまふ。御返し、 |
阿闍梨は、この御使者を先に立てて、あちらの宮に参上した。並々の身分で、訪問してよい人の使いでさえまれな山蔭なので、実に珍しく、お待ち喜びになって、場所に相応しい御馳走などを用意して、山里らしい持てなしをなさる。お返事は、 |
「あと絶えて心澄むとはなけれども 世を宇治山に宿をこそ借れ」 |
「世を捨てて悟り澄ましているのではありませんが 世を辛いものと思い宇治山に暮らしております」 |
聖の方をば卑下して聞こえなしたまへれば、「なほ、世に恨み残りける」と、いとほしく御覧ず。 |
仏道修業の方面については謙遜して申し上げなさっていたので、「やはり、この世に恨みが残っていたな」と、いたわしく御覧になる。 |
阿闍梨、中将の、道心深げにものしたまふなど、語りきこえて、 |
阿闍梨は、中将の君が、道心深くいらっしゃることなどを、お話し申し上げて、 |
「法文などの心得まほしき心ざしなむ、いはけなかりし齢より深く思ひながら、えさらず世にあり経るほど、公私に暇なく明け暮らし、わざと閉ぢ籠もりて習ひ読み、おほかたはかばかしくもあらぬ身にしも、世の中を背き顔ならむも、憚るべきにあらねど、おのづからうちたゆみ、紛らはしくてなむ過ぐし来るを、いとありがたき御ありさまを承り伝へしより、かく心にかけてなむ、頼みきこえさする、など、ねむごろに申したまひし」など語りきこゆ。 |
「経文などの真意を会得したい希望が、幼い時から深く思いながら、やむをえず世にあるうちに、公私に忙しく日を過ごし、わざわざ部屋に閉じ籠もって経を読み習い、だいたいが大して役にも立たない身として、世の中に背き顔をしているのも、遠慮することではないが、自然と修業も怠って、俗事に紛れて過ごして来たが、たいそうご立派なご様子を承ってから、このように心にかけて、お頼み申し上げるのです、などと、熱心に申し上げなさいました」などとお話し申し上げる。 |
宮、 |
宮は、 |
「世の中をかりそめのことと思ひ取り、厭はしき心のつきそむることも、わが身に愁へある時、なべての世も恨めしう思ひ知る初めありてなむ、道心も起こるわざなめるを、年若く、世の中思ふにかなひ、何ごとも飽かぬことはあらじとおぼゆる身のほどに、さはた、後の世をさへ、たどり知りたまふらむがありがたさ。 |
「世の中を仮の世界と思い悟り、厭わしい心がつき始めたことも、自分自身に不幸がある時、大方の世も恨めしく思い知るきっかけがあって、道心も起こることのようですが、年若く、世の中も思い通りに行き、何事も満足しないことはないと思われる身分で、そのようにまた、来世までを、考えていらっしゃるのが立派です。 |
ここには、さべきにや、ただ厭ひ離れよと、ことさらに仏などの勧めおもむけたまふやうなるありさまにて、おのづからこそ、静かなる思ひかなひゆけど、残り少なき心地するに、はかばかしくもあらで、過ぎぬべかめるを、来し方行く末、さらに得たるところなく思ひ知らるるを、かへりては、心恥づかしげなる法の友にこそは、ものしたまふなれ」 |
わたしは、そうなるべき運命なのか、ただ厭い離れよと、格別に仏などのお勧めになるような状態で、自然と、静かな思いが適って行きましたが、余命少ない気がするのに、ろくに悟りもしないで、過ぎてしまいそうなのを、過去も未来も、全然悟るところがなく思われるが、かえって、恥入るような仏法の友の方で、いらっしゃいますね」 |
などのたまひて、かたみに御消息通ひ、みづからも参うでたまふ。 |
などおっしゃって、お互いにお手紙を交わし、自分自身でも参上なさる。 |