第二章 薫の物語 秋、八の宮死去す
4. 八の宮、姫君たちに訓戒して山に入る
本文 |
現代語訳 |
げに、聞きしよりもあはれに、住まひたまへるさまよりはじめて、いと仮なる草の庵に、思ひなし、ことそぎたり。同じき山里といへど、さる方にて心とまりぬべく、のどやかなるもあるを、いと荒ましき水の音、波の響きに、もの忘れうちし、夜など、心解けて夢をだに見るべきほどもなげに、すごく吹き払ひたり。 |
なるほど、聞いていたよりもいたわしく、お暮らしになっている様子をはじめとして、まことに仮の粗末な庵で、そう思うせいか、簡素に見えた。同じ山里と言っても、それなりに興味惹かれそうな、のんびりとしたところもあるのだが、実に荒々しい水の音、波の響きに、物思いを忘れたり、夜などは、気を許して夢をさえ見る間もなさそうに、風がものすごく吹き払っていた。 |
「聖だちたる御ために、かかるしもこそ、心とまらぬもよほしならめ、女君たち、何心地して過ぐしたまふらむ。世の常の女しくなよびたる方は、遠くや」と推し量らるる御ありさまなり。 |
「仏道修業者めいた人のためには、このようなことも、気にならないことなのであろうが、女君たちは、どのような気持ちで過ごしていらっしゃるのだろう。世間一般の女性らしく優しいところは、少ないのではなかろうか」と推量されるご様子である。 |
仏の御隔てに、障子ばかりを隔ててぞおはすべかめる。好き心あらむ人は、けしきばみ寄りて、人の御心ばへをも見まほしう、さすがにいかがと、ゆかしうもある御けはひなり。 |
仏間との間に、襖障子だけを隔てていらっしゃるようである。好色心ある人は、気のあるそぶりをして、姫君のお気持ちを見たく、やはりどのようなものかと、興味惹かれるご様子である。 |
されど、「さる方を思ひ離るる願ひに、山深く尋ねきこえたる本意なく、好き好きしきなほざりごとをうち出であざればまむも、ことに違ひてや」など思ひ返して、宮の御ありさまのいとあはれなるを、ねむごろにとぶらひきこえたまひ、たびたび参りたまひつつ、思ひしやうに、優婆塞ながら行ふ山の深き心、法文など、わざとさかしげにはあらで、いとよくのたまひ知らす。 |
けれども、「そのような方面を思い離れた願いで、山深くお尋ね申した目的もなく、好色がましいいいかげんなことを口に出してふざけるのも、主旨と違うのではないか」などと反省して、宮のご様子のまことにいたわしいのを、丁重にお見舞い申し上げなさり、度々参上しては、思っていたように、在俗のまま山に籠もり修業する深い意義、経文などを、特に賢ぶることなく、まことよくお聞かせになる。 |
聖だつ人、才ある法師などは、世に多かれど、あまりこはごはしう、気遠げなる宿徳の僧都、僧正の際は、世に暇なくきすくにて、ものの心を問ひあらはさむも、ことことしくおぼえたまふ。 |
聖めいた人、学問のできる法師などは、世の中に多くいるが、あまりに堅苦しく、よそよそしい徳の高い僧都、僧正の身分は、世間的に忙しくそっけなくて、物事の道理を問いただすにも、仰々しく思われなさる。 |
また、その人ならぬ仏の御弟子の、忌むことを保つばかりの尊さはあれど、けはひ卑しく言葉たみて、こちなげにもの馴れたる、いとものしくて、昼は、公事に暇なくなどしつつ、しめやかなる宵のほど、気近き御枕上などに召し入れ語らひたまふにも、いとさすがにものむつかしうなどのみあるを、いとあてに、心苦しきさまして、のたまひ出づる言の葉も、同じ仏の御教へをも、耳近きたとひにひきまぜ、いとこよなく深き御悟りにはあらねど、よき人は、ものの心を得たまふ方の、いとことにものしたまひければ、やうやう見馴れたてまつりたまふたびごとに、常に見たてまつらまほしうて、暇なくなどしてほど経る時は、恋しくおぼえたまふ。 |
また、これといったこともない仏の弟子で、戒律を守っているだけの尊さはあるが、雰囲気が賤しく言葉がなまって、不作法に馴れ馴れしいのは、とても不愉快で、昼は、公事に忙しくなどしながら、ひっそりとした宵のころに、側近くの枕許などに召し入れてお話しなさるにつけても、まことにやはりむさ苦しい感じばかりがするが、たいそう気品高く、いたいたしい感じで、おっしゃる言葉も、同じ仏のお教えも、分りやすい譬えをまぜて、たいそうこの上なく深いお悟りというわけではないが、身分の高い方は、物事の道理を悟りなさる方法が、特別でいらっしゃったので、だんだんとお親しみ申し上げなさる度毎に、いつもお目にかかっていたく思って、忙しくなどして日を過ごしている時は、恋しく思われなさる。 |
この君の、かく尊がりきこえたまへれば、冷泉院よりも、常に御消息などありて、年ごろ、音にもをさをさ聞こえたまはず、寂しげなりし御住み処、やうやう人目見る時々あり。折ふしに、訪らひきこえたまふこと、いかめしう、この君も、まづさるべきことにつけつつ、をかしきやうにも、まめやかなるさまにも、心寄せ仕うまつりたまふこと、三年ばかりになりぬ。 |
この君が、このように尊敬申し上げなさるので、冷泉院からも、常にお手紙などがあって、長年、噂にもまったくお聞きなされず、ひどく寂しそうであったお住まいに、だんだん来訪の人影を見る時々がある。何かの時に、お見舞い申し上げなさること、大したもので、この君も、まず適当なことにかこつけては、風流な面でも、経済的な面でも、好意をお寄せ申し上げなさること、三年ほどになった。 |